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内藤國雄九段と森内俊之九段は「特長あるチャレンジャー」だった

内藤國雄九段と森内俊之九段は「特長あるチャレンジャー」だった

絶対王者に挑む存在が将棋を面白くする――私の偏愛的棋士論

2019/01/25
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羽生九段は「将棋体力」が桁外れに強い

 将棋は、自分で指して負けると大変悔しいゲームなので、応援している棋士に時々は勝って貰わないとファンとしても苦しい。必然的に、応援する棋士・好きな棋士は、ある程度以上の勝率のある人となる。

 大まかに言って、トップクラスの相手と頻繁に当たる地位で、勝率が6割を超えていると「強い棋士」だし、6割5分あると「タイトルを取る可能性が十分ある」というくらいの力量だ。勝率7割を超えると絶好調だ。

 棋士は四段デビューの年齢からおおよそどの程度まで出世するかが予想できる。そして、おおむね20代半ばくらいでその棋士としての最強に達し、トップ棋士でも45歳くらいから衰えが目立つようになる(勝率が1割以上下がる)。対局の勝ち負けを予想する場合、若い方の棋士に賭けると的中率が高いはずだ。そして、年齢的に衰えて来ると、持ち時間を大きく残す負けが増えて、感想戦の時間が短くなる。

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 トップクラスの相手との対戦が多いのに、しかも長年の通算勝率で7割を超えている羽生善治九段は「異次元の強さ」だ。彼は、将棋と勝負の両方に集中し続けられる「将棋体力」が桁外れに強いのだろう。

通算2000対局を勝率7割超えで達成した羽生九段は「異次元の強さ」 ©文藝春秋

「ほとんどのプロ棋士は羽生さんのファンなのです」

 ある棋士に「プロ棋士は皆強い人が好きなので、ほとんどのプロ棋士は羽生さんのファンなのです」と聞いた。「なるほど、そういうことなのか」。これまでプロ棋士によるネット中継の解説などを観ていると、形勢や手の解説に「羽生贔屓」を感じることが少なからずあったのだが合点が行った。

 私も将棋ファンの端くれとして、四段デビューの頃から羽生九段は特別な棋士だと思っていたし、異例の実績として次々にその思いが実現して行く気持ちよさから、長年、羽生九段を応援する側から将棋を観ていた。

 しかし、15年くらい前から、多くの棋士が羽生九段に対してコンプレックスを抱きつつ、半ばそのことに慣れているように見えて、それを物足りなく思うようになった。

 将棋はメンタル面が大きな要素を占めるゲームであり、お互いに先を読める者どうしが、相手に先に負けを認めさせて諦めさせるゲームなのだ。相手の方が強いとのコンプレックスを持つと精神的に頑張りが利かないし、その分勝ちにくい。勝負する者としてこれはいけない。観ている側としても精神的な優劣がはっきりしている関係での勝負には面白くない面がある。

 無意識のうちに私は「羽生さんに、精神的に負けていない棋士」を探すようになった。