合理性が魅力的に映った森内九段
新しい贔屓棋士は意外な所から現れた。
10年以上前のことになるが、知人の紹介で行方尚史八段が主催する忘年会に出る機会があり、この会で森内俊之九段とゆっくり話ができた。
それまでの森内九段は、羽生九段の敵役のイメージで、むしろ何となく応援しにくい棋士の一人だった。羽生九段の前にしばしば立ちはだかるし、インタビューなどでも面白いことを言うタイプではないので親しみが湧きにくかった。
しかし、酒席で会った森内九段は、「棋士の年齢による衰えについて」、「対局中に勝負を諦める状況とは」、「がっちり組み合った矢倉は先手・後手どちらが有利なのか」、「今後の将棋の競争のポイントは何か」といった現役プレーヤーでは答えにくいだろうし、まして同業者の居る席では言いにくかろうという話まで、率直に無駄なく話してくれた。どれに対する答えも、一言で言うと「合理的」だ。
森内九段は、行方八段ほどではないがお酒も飲む。改めて考えると、羽生九段という余りに手強い同世代ライバルを、心を折らずに追走・併走し続けて来た人間としての力が破格だ。そして、彼の合理性は魅力的だ。私は、以前の印象を改めた。森内九段の将棋を「森内さん側から」観るようになった。
いかにもプロ的で真似しにくい将棋なのだが
すると、これまで「勝ち方が辛くて、負かしにくい、敵役」として観てきた森内九段の将棋の特色が、一転して好ましく思えてきた。積極的な序盤でポイントを取ろうとして、相手に(結果的には無理に)攻めさせてこれを受け止め、資源(持ち駒や厚みなど)を蓄えて反撃に移ると相手は持ち堪えられない、という勝ち方は、モバイル中継で応援しながら観ると大いに堪能できる。特に、持ち時間の長い二日制のタイトル戦や順位戦の将棋に見応えがあり、同時に勝率が高かった。
森内将棋はいかにもプロ的で真似しにくい将棋なのだが、今や私は「観る将」(もっぱら観る将棋ファン)なのだし、観る上で、このタイプの将棋は力が入って申し分ない。新聞の観戦記や「将棋世界」などで文字化された情報では得られない醍醐味がある。モバイル中継の普及による準ライブの観戦環境が整っていたことが良かった。私は、すっかり森内九段のファンになった。