書籍「僕が夫に出会うまで」
2016年10月10日に、僕、七崎良輔は夫と結婚式を挙げた。
幼少期のイジメ、中学時代の初恋、高校時代の失恋と上京、
文春オンラインでは中学時代まで(#1〜#9)と、
自分がゲイであることを認めた瞬間から,
物語の続きは、ぜひ書籍でお楽しみください。
周りがなんと言おうと、ぼくは「ふつうの男の子」だ。
僕は北海道で生まれ育った。当時住んでいた団地の前には、ちょっとした公園が併設されていて、近所の子供たちが多く集まる。公園の中心には4人乗りのブランコがあって、それを限界まで漕ぐと「ガッタン」と音がするので、「ガッタン公園」と呼ばれていた。
ぼくの得意な遊びは「ケッタ」といって、いわゆる「缶けり」の缶がないバージョンで、缶を蹴る代わりに「ケッタ!」と言って、街灯にタッチをする遊びだ。ケッタだったら1日中遊んでいられる。
冬になると、公園の遊具は大量の雪の下に埋もれる。それはそれで、雪を掘って遊んだり、自転車小屋の屋根から雪山にダイブをしたりして遊ぶ。北海道で生まれたぼくにとって、大きな雪山は、季節限定の遊具だった。ぼくは、みんなと同じように、よく外で遊ぶ「ふつうの男の子」だと、信じて疑いもしなかった。
ただ、スポーツとなると話が別だ。
父から逃げるようにして過ごした休日
ぼくの父と母は、どちらもスポーツマンで、父はオリンピック競技の実業団に入って、その協会で理事をしていた。母も学生時代まで同じスポーツをしていて、バリバリの選手だった。二人とも負けん気が強かったのだろうと思う。50歳をとっくに過ぎた今でも、熱量の多い人たちだ。
そんな父と母は、ぼくが産まれる前から「最初の子は絶対男の子がいい!」そして、「息子はスポーツ選手にしよう!」と決めていたようだ。
ぼくが小学校に通い出すと、父は、仕事の休みの日にも早起きをして、ぼくをキャッチボールに誘った。だけどぼくは、父とのキャッチボールが大嫌いだった。だって、グローブをはめると指にささくれができるし、なんだか手が臭くなる。
だから、ぼくはいつも、父から逃げるようにして休日を過ごさなくてはいけなかった。それでもつい、父に捕まってしまうと、ぼくを見つけた父は嬉しそうに「良輔、キャッチボールするぞ!」と声をかけるのだった。
「この子は本当に自分たちの息子だろうか」
ぼくがその誘いを、どうにか断ろうとしていると、母は少し寂しそうな顔をして、僕に言う。
「お願い、良輔。お父さんは、息子とキャッチボールをするのを、良輔が産まれる前から楽しみにしていたんだよ」
そう言われて断れるはずがなかった。ぼくは、うなだれながら、グローブを手にはめた。いつだか父が買ってきた、真新しいグローブだった。
イヤイヤやっていて、うまくなるはずがない。両親はそれを悟ると、次はサッカー、次は水泳、それでもだめなら少林寺拳法と、あらゆるスポーツをやらせてみたが、ぼくは両親の期待を裏切り続けた。父と母が「この子は本当に自分たちの息子だろうか」と、ぼくの前で首をかしげるものだから、いたたまれない気持ちになった。