昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

新体操は中3の引退まで、7年やっていました

――『鈴木家の嘘』で、とても美しく描かれているのが木竜さんの新体操のシーンだと思います。

木竜 お芝居することと体を動かすことの間には、深いつながりがあるような気がします。私にとって、体を動かしている間は余計なことを考えないでいいんです。自分の体を動かして、それこそきつい筋トレをやってたら、筋トレに追いやられて余計なことはどんどん頭から抜けていくような。物理的に、自分と向き合う方向に持っていけました。

 

――実際に、木竜さんも新体操を習っていたと伺いました。さっきも撮影で、少しくるくると回ったり跳んだりしていただいて。

木竜 はい(笑)。小学校3年生の途中くらいから中学校3年生の引退まで、7年間ですね。最初はクラシックバレエも見に行ったんですが、近所のお姉さんが新体操をやっているというので教室を見学したら、すごくかっこよくて。それで習い始めました。引退するぎりぎりまでやっていた種目がリボン。それまでは一通り、ボールやフープも。

 新体操をやっていた期間が7年で、撮影に入るまでにやっていなかった期間も7年だったんです(笑)。もともと富美は陸上選手という設定だったんですけど、私が得意なものということで、監督が設定から変えてくださって。大学でスポーツをやっている子を演じるなら、「きちんと練習させてください」と自分からお願いしました。これほどすごい人たちばかりのところに自分が行くなんて、思っていなかったんですけどね(笑)。

 

長距離のランニングは「ちょっとつらいな……」

――国士舘大学の新体操部の人たちと練習したんですよね。

木竜 それこそ、日本代表を輩出するような大学だったので、最初の頃は「なんか、すみません」と思っていました(笑)。「こんな私が、すみません」って。でも皆さんが新体操というものに本気なように、私もこの作品に本気でいこうと思った過程の中に練習があるってことだから。勝手に同じだと思うことにして(笑)、練習に通っていましたね。

 話してみるとすごく普通の、等身大の女の子たちで。練習ですごく長い距離を走るのに、おしゃべりをしながらでも全然皆さん息切れしていなくて。私は「ちょっとつらいな……」と思いながら(笑)。

 

――アハハ。そうだったんですね。

木竜 自分たちの時間を割いて、映画のための練習に付き合ってくださって。そういう意味でもいい出会いをもらった作品になりました。