競争相手は誰も負けなかった
今期のC級2組は最終戦が3月7日に行われた。すでに及川拓馬六段が9連勝で一足先に昇級を決めており、残る枠は2つ。8勝1敗の佐藤和俊六段と7勝2敗の最上位である石井健太郎五段が自力昇級の権利を持っていた。
また今期9枠となっている降級点に関しては、すでに4名までが確定しており、残る5枠を引く可能性は9名の棋士にあった。
東西の将棋会館に分かれて、24の対局が一斉に行われる。この日の将棋会館は、緊張した空気で張りつめていた。
夜になり続々と終局の報が入る。佐藤と石井が敗れれば自身に昇級の権利が回る順位下位者の2敗組は誰も負けなかった。佐藤には自身が敗戦しても昇級できる目がわずかにあったが、そんな可能性は期待していなかっただろう。
そして21時を回り、関西より石井が勝利した一報が入った。これで残る枠は1つ。佐藤か、8勝2敗で終えて他力最上位となった佐々木大地五段かに絞られた。
佐藤は奨励会三段リーグでも長い停滞期があった
その佐藤は長岡裕也五段と戦っていた。長岡は今期ここまで2勝と不調で、本局に敗れた瞬間に自身2つ目の降級点が確定する。こちらにとっても大一番なのだ。長岡は19歳で四段になり、その序盤戦術の研究を買われて羽生善治の研究パートナーに認められた逸材だが、そのような棋士でも降級点をめぐる争いに巻き込まれるのが、現在のC級2組なのである。
石井から遅れること1時間半、ついに佐藤が最後の1枠を勝ち取った。2004年の初参加から15期目、40歳にして、ついに果たした昇級だった。
佐藤は奨励会三段リーグでも長い停滞期があった。17歳で三段昇段を果たしてから、なんと16期も三段リーグでの戦いを強いられた。途中では次点を取ったこともあり、他の三段と比較して明らかに実力が足りなかったとは思えない。それでも昇段には結びつかなかった。
筆者が将棋界で働き始めたのは、佐藤が次点を取った直後である。同年(1978年)生まれということもあって、何かと注目をしていたが、当時の奨励会を戦う佐藤の目には力がなかった。
だが、年齢制限が迫る2003年の9月、佐藤はついに25歳で四段昇段を果たした。その時の笑顔を見て「彼はこんなにいい顔ができたんだ」とこちらの気持ちも高揚したことを覚えている。プレッシャーから解放されて夢をつかむことの大きさを改めて感じた。