「火花」も「劇場」も2010年で物語が終わっている理由
――又吉さんが執筆された長編小説「火花」と「劇場」は、どちらも2010年で物語が終わっています。これは意図的にそうされたんですか?
又吉 そうですね。すごく迷ったんですけど、どっちも2010年で物語を終わらせたんです。理由はいくつかあって、一番大きな理由は「震災をまたがない」ということですね。あの二つの小説を書くときは、個人が各々抱えているものにスポットを当てたかったんです。僕自身、ずっといろんなことを考えてきたけど、震災があったときに「そんなことどうでもええわ」と思ってもうた瞬間があって。でも、それまで抱えていたものが震災で消えたわけじゃなくて、種火のように残り続けて、そこからまた段々盛り上がってきた部分はあるんですけど、とにかく震災のときはそう思ってしまったんですよね。でも、小説を書くときに、震災前に自分が抱えていたものの痛みをなかったことにしたくないなと思ったんです。それを描こうとすると、震災をまたげないなと。震災のことをどう言葉にしてええかわからんし、そこには複雑な問題があるし、当然ながら言葉も選ぶし、文学であってもそれを書いていいのか――いや、文学だからこそ書くべきだとか、そういう迷いもありますよね。震災があったとき、「こんなときだからこそお笑いをやるべきだ」って考えもありえたと思うんです。だけど、少なくとも僕自身としては、「今このタイミングでお笑いをやるとしたら、それはお客さんに対してではなく、自分に対してじゃないか?」と思ってしまったんです。「それは、『こんなときでもお笑いをやるんだ』というスタンスをとることで、お前が楽になりたいだけなんじゃないか?」と。
――「こんなときでも、己のスタイルを貫く自分でありたいだけじゃないか?」と。
又吉 そうやって己のスタイルを貫いたところで、世界に何も関係もないんですよね。自分に対して厳しい見方をすると、今までもそれをやってきたんじゃないかと思ってしまう。「どんなときでもふざける」と思って生きてきたから、そのスタイルを貫くことはできるかもしれないけど、それをやるべきではないなと。あの1年は、もう何も考えられなくなったんです。誰もが「何で自分が死なへんかったんやろ」と思ったやろうし、誰もが生きている理由を考え直したやろうと思うんです。でも、そこに答えなんか見つからへんし、生きている価値を保証してくれる気づきもなくて、ほっぽり出されてただ生きているような感覚が強くて。その感覚を「火花」や「劇場」に混ぜるというのは、試みとしては面白かったかもしれないけど、そこで書き尽くすことはできないし、そこで書いて終わりにしたくないという気持ちがあって。だから一作目と二作目では震災をまたげなかったんです。