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又吉直樹はなぜ小説を書くのか、小説は世界を変えられるのか?

ピース又吉直樹・上京インタビュー#2

2019/03/23

source : 文學界

genre : ライフ, 読書, ライフスタイル

note

最近考えてるのは、なぜ人間は絵を描くのかってことで

――親世代を見ていると、不思議に思うことがありますね。田舎町を歩いていると、お年寄りが軒先に椅子を出してただ風景を眺めている姿を目にすることがあって、あれは一体どういう境地なんだろうと思うんです。数年前、北欧のテレビ局が燃えている暖炉を映しただけの番組を放送したら、かなりの高視聴率だったらしいんです。それを見るというのは、「何か面白い表現はないか」と思って見るということとはまったく別の時間ですよね。

 

又吉 奄美大島に行くと、夕暮れ時になると皆が椅子を出してきて、なんとなく夕日を眺めてるんです。それってすごく自然なことやと思うんですよ。最近考えてるのは、なぜ人間は絵を描くのかってことで。表現というものがこの世界にあるものを切り取る作業なのだとすれば、下手な絵を見るより自然を眺めていたほうがいいわけですよね。その暖炉の番組も、ようは「皆で暖炉を囲んで、ぼーっとしながら過ごす」という時間の総合得点が高いってことですよね。そうやって暖炉を眺めて過ごす時間に、「何か面白いものを作り出してやろう」という意識が介在したものが太刀打ちできていない。やっぱり、ほんまに優れた芸術でなければ、自然には勝てないと思うんです。自然をそのまま描くのであれば、「自然を見ていればいい」ということになってしまう。でも、「なんか、闘えてんなあ」と思える表現もあるじゃないですか。こんなことを言うと「お前の鑑賞方法は邪道だ」と言われるかもしれませんけど、美術館でいろんな人が描いた絵を見ると、自分の感覚に溜まっていたゴミが取れて、その絵を描いた作家たちのすごくクリアな視点に触れられる感じがするんです。「うまく描いてやろう」という作為に満ちた何かではなく――もちろんそういう作為だってあるのかもしれないですけど――「自分には世界がこう見えている」という視点を純粋にぶつけられたように感じるんですよ。だから自然に太刀打ちできるんだと思うんですけど、そんな絵画を見ていくと、普段の自分と全然違う自分になれる。そうやって美術館を出て、いつのまにか夜になっている空や街を見たときに、「こんな美しいものがあるか」と毎回思うんです。「この美しさに誰も勝ててへんぞ」と。でも、普段からその美しさを意識できているわけではなくて、その美しい風景を見せてくれたのは作家たちの目なんですよね。文学の面白さもそれに近くて、「感覚の確認と発見ができることだ」といつも言っているんです。今連載している「人間」も、いろんな価値観の中で生きている人間を出したいなと思ってるんですけど、そう考えると、自分で書いているのに「この小説、終わるんかな?」という気持ちになりますね。

写真=文藝春秋

INFORMATION

<本公演>
タイトル:「さよなら、絶景雑技団2019 本公演」
作・演出:又吉直樹
出演:又吉直樹、グランジ五明、しずる、ライス、サルゴリラ、囲碁将棋根建、ゆったり感中村、井下好井好井、パンサー向井、スパイク小川
日程:3/22(金)19:00開演
   3/23(土)19:00開演
   3/24(日)18:30開演
会場:日本橋・三越劇場

<派生ライブ>
タイトル:さよなら、絶景雑技団主宰「日本の表現者」
作・演出:又吉直樹
出演:又吉直樹、竹内健人、フルポン村上、サルゴリラ児玉、ライス関町
日程:3/23(土)15:00開演
   3/24(日)14:30開演
会場:日本橋・三越劇場

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