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「悩んだって苦しくても構わない、子供のことなら、なんでも理解してやりたいんだよ。もし、そんな大切なことを、俺が死ぬまで隠されていたなら、俺は、死んでも死に切れないよ! 自分を責めるね、なんで気づいてやれなかったんだって」
言ってもらいたい言葉を、愛のお父さんが全て言ってくれたような気がした。やっぱり親へのカミングアウトは僕の自己中な行為なんかではない。自分のため、親のため、明るい未来のために、僕は進まなくてはならないのだ。
カミングアウトされた親が、喜ぶ時代が来るかもしれない
この社会では僕のような同性愛者に対しての知識がまだまだ足りない。知識がないから理解ができない。理解が足りないから偏見があって、偏見から差別が生まれる。そんな社会なのは本当に仕方がないことなのだろうか。そんな社会だってことをいつまでも前提にして行動を制限していたら、世の中いつまで経っても変わらないじゃないか。
「親へのカミングアウト」=「親を悲しませる」と決めつけるのはやめよう。もしかしたら、息子にカミングアウトされた親が、喜ぶ時代が来るかもしれない。僕の親はそのタイプかもしれない。だってゲイである事は不幸な事ではないのだから。母へのカミングアウトをする決意が固まった。
写真=平松市聖/文藝春秋
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