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連載昭和の35大事件

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア

眼をギョロリとむいて、『かよ、かよ』

 その後、高輪署に捕われた時にかの女はこう語っている。

 15日の午後待合を出たかの女は、上野で肉切庖丁を1丁買い求めた。殺して自分のものにしようとしたのだ。

 17日の午前1時ごろ、すやすや眠る吉蔵の首に細紐をまきつけてしめると、男は眼をギョロリとむいて、『かよ、かよ』と苦しそうな声をたてた。かの女もその現実に驚いて、紐をとき、『医者を呼びましょうか』といったが『医者はいらない』ととめたので、そのままにした。頸部には細紐の二重の傷跡が残り、眼球は飛び出して見るも凄い形相の吉蔵であったという。この朝早く外出して、銀座資生堂に行き、目薬と傷跡の薬とカルモチン30錠を求めた。

 介抱するお定に吉蔵は『お前は俺が眠ったらまたしめるだろう。こんどしめてもゆるめないでくれ、一思いに苦しまずに殺してくれ……』

 こうして、かの女は17日夜、愛欲の一念から殺人罪の怨怖心すらなく、好きな男を自分のものにした喜びに一夜を明かしたのだった。

警察を翻弄したかの女・お定の逃亡劇

 尾久の待合まさきを出てからのかの女の逃走は、警視庁の裏をかいて巧みに変装、市内を転々として20日午後5時半ごろ品川駅前の旅館品川館で捕われるまで、まる2日半。満都の話題となった。

 18日深更、名古屋市の野球で有名な私立商業の校長をしている大宮某氏(49)が突如尾久の捜査本部を訪問して、かの女の事件を一層多彩ならしめた。

 この校長先生は事件前年の春、お定が名古屋市のさる旅館の女中をしていたころ、花見で知り合った。教育者である大宮氏は幾度かかの女との悪縁を絶たんとしたが、年増女の魔の手に引ずられて今日に至ったと述懐した。

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 校長会議で上京した彼は5月15日に品川の夢の里で会い、お定に50円の小遣を渡したが、これがかの女の逃走資金となったのだ。

 当時は円タク全盛時代。水菓子を買いに行くといって、待合を出たかの女は、付近から円タクを拾って新宿伊勢丹に行き、さらにここから下谷区上野町の古着屋で、まず着衣を変えて、着ていた犯行当時の着物を13円50銭で売り、地味なうろこ形の着物を5円で買い変装した。

 その足でかねてしめし合せた大宮氏と神田万惣果物店で落ち合った。2人はここから日本橋のそば屋に現われてうどんかけを食べている。しかし、かの女は大宮氏には吉蔵を殺したことは何一つ話していない。