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連載昭和の35大事件

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア

時の社会部長は『カミナリ』

 当時私は東日の警視庁七社会の新参メンバー、同僚4、5人が夕刊〆切後の警戒を一通りすまして、下のうす暗い捜査一課のデカ部屋から記者室にひきあげて、しばらく麻雀を楽しんでいるところだった。

 卓上のベルが鳴る。『社電だ!』誰かのはずんだ声で電話に出ると、殺しがある、すぐ社に帰れという命令だ。各社に気どられぬように抜け出して、社会部に駈けつけると同僚のJ君が警視庁の第一報をキャッチして早くも現場に飛び、情報は刻々に来る。

 号外発行のベルがけたたましく鳴り、編集も工場も上を下への騒動である。

 デスクのM副部長は日ごろ青白い顔をさらに白くして電話にかじりついている。

 時の社会部長は『カミナリ』といえば新聞界で通る小坂新夫氏(現下野新聞会長)である。

 デスクのきいている現場からの電話を奪い取るように聞きながら『ウン、猛烈にやれ!』と叱咜する。

 宵の街に号外屋のベルが鳴り出したころ、編集室の社会部に販売部副部長のI氏が、号外を鷲づかみにしてド鳴りこんできた。

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『こんな号外をナンで出した。新聞が売れなくなるゾ』という抗議である。この時小坂氏は平素とガラリ変って、ただ笑って取りあわない。

 ここで事件を説明するために、当時の社会面を採録して見よう。

死体の左腕には『定』の傷跡

 頻発する兇悪事件未検挙の折柄、荒川区尾久4の1881待合まさきこと正木吾助さん方に、年齢50位の男と30位の女が、去る11日から流連していたが、18日朝8時ごろ『水菓子を買いに行く』といったまま帰らない。女中伊藤もと(33)が気になって午後3時ごろ、2階四畳半の部屋を明けると、男は蒲団のなかで絞殺されている。

 所轄尾久署から傍島署長、警視庁から酒川捜査一課長、中村係長、高木鑑識課長、東京刑事地方裁判所から庄田予審判事、酒井検事が急行検視した。

 男は枕を窓側にして、細紐で絞殺され、顔にはタオルがかけてあった。

 男の大腿部に『定・吉二人』さらに『定吉二人きり」と1字3寸角位の太い文字が血汐で描かれていた。被害者の首には赤い細紐がまかれて、そのあたりに血汐が点々としていた。

 また死体の左腕には『定』と生々しく刃物できざまれてあり、局所が切りとられている。

 枕許の男の財布はカラになっていた。被害者の身許はかねて捜索願の出ていた中野区新井町五三八料理店吉田屋石田吉蔵(42)逃走した犯人は埼玉県坂戸町生れの同家の女中田中かよこと阿部定(31)と判った。

犯人の阿部定(左)と、被害者の石田吉蔵(右) 1936年5月19日の東京朝日新聞