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大バッシングから3年 舛添要一が語る「盟友・菅、森オヤジ、学習院の麻生」と「私が落ちていった理由」

舛添要一インタビュー #3

2019/08/01
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「兄弟関係」の菅義偉氏、森オヤジ

――『都知事失格』で、菅義偉さんとは「兄弟関係」であると書かれていますね。

舛添 菅は、彼が総務大臣をやった時に、片山虎之助さんが自民党参議院幹事長で、青木幹雄さんが党参院議員会長、私が政策審議会長だったんですよ。参議院のナンバー3だったわけです。そうすると、あの2人が菅のことをよく怒鳴っていたんですね。しかし参議院は強かったですから、あの2人に挨拶しないと法案も通らない。で、参議院に挨拶に来るんです。その時は私の部屋まで怒鳴り声が聞こえてくるくらいでした。それが終わった後、私の部屋へ寄ってお茶を飲みながら「まあまあ」と。「じゃあその法案、頑張って通すから」みたいな話をしていて。

 

――何か印象に残っているエピソードはありますか。

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舛添 その当時菅が、自民党総裁候補に私を担いだことがあるんです。それで、推薦人を20人そろえて持ってきてくれと。一応青木さんに「こういう話が来ているのですが、青木さんあなたに任せます」と伝えたら、そこから先は青木さんが全部切り崩しちゃいましたね。1人、2人って。本当に、20人集めるというのがいかに大変かよく分かりますよ。石破君だって20人集めるというのは至難の業なんです。「お前、大臣になりたくないのか? 二度とポストをあげないぞ」と脅されるわけですからね。

 私の場合、こう見えて非常に人気者でしたから、選挙でたびたび応援演説に入っていました。そういう意味で、貸しを作ってはいたんです。「人寄せパンダ」でどこに行っても人が集まるから、みんな「来てくれ」と言うので行って。一番苦しい時なんて、菅のために何回横浜に入ったか分からないくらいですよ。今でも電話をかければいつでも話ができる間柄です。もっとも政界を退いた状況ですから、用事がないとかけませんけれども。

――菅さんというと、官房長官会見で記者の質問をバッサバッサと切っていくようなイメージが強いです。冷徹な印象を受けている人も多いんじゃないかと思いますが、そういうわけではないんですか?

聞き手・辻田真佐憲さん

舛添 むしろあまり飛び跳ねないし、地味なところを上手に使っている感じがしますね。だけどあれだけの長期政権になると、「忖度行政」じゃないけれども、役人も全部言うことを聞く。記者会見の時間だって30分で切るようにしていますよね。そういう意味で、官僚機構と官邸とのハーモニーで成り立っているところがあります。メディア、特にNHKを含めてね。こういう状況でどこまで政権批判ができるのかなと思います。だから、東京新聞の望月(衣塑子)記者が跳ね上がって見えるというのは、他があまりにおとなしいから。

――他の政治家についても伺いたいんですが、森喜朗さんのことは、「森オヤジ」と呼んでいたそうですね(『都知事失格』)。

舛添 昔からよく知っている人です。森さんを通じて、他の人からいろいろな話が来ます。安倍さんにしても、直接私に言う前に森さんに伝えるわけですよ。私が政審会長だった当時、森さんから電話がかかってきて「お前、そろそろ安倍の悪口言うのやめねえか」と。「どうしてですか?」と尋ねたら、「大臣をやってもらいたいと思ってるんだよ。これ以上お前が言いすぎると、大臣にできないからもうやめろ」というようなことがありましてね。森さんが間に入っているみたいな感じです。

 

「東大以外は大学ではない」と麻生氏に言った逸話

――もう一人、同書で麻生太郎さんについて、「東大以外は大学ではない」という冗談を舛添さんから麻生さんに言ったというエピソードがありましたけれども。

舛添 私は記憶していないんだけど、今でも「お前は俺をバカにした」と言うんです。「お前、学習院か。東大も出てないやつは、東大以外大学じゃねえんだよ、この野郎」と私が言ったと。私は記憶にないんだけれども。30代からの付き合いで、同じ福岡出身ですからそんなこともありますね。お互い、勝手に言い合いますから。