人気者だったはずが、なぜ“逆転”してしまったのか
――都知事時代というと、やはり後半。オリンピックのユニフォームの見た目がよくないという批判もありましたが、海外出張でのファーストクラス利用、会議のためのホテルのスイートルーム利用、公用車の利用などについて、猛烈なバッシングが起きました。
舛添 正直に言うと、都知事を辞めた直後は「なぜこんなことになったのか」と憤る気持ちもありました。しかし今は、私の行いによって都政が大混乱に陥り、多くの人にご迷惑をかけたことを反省しています。メディアは、追い落としのために使えるものを全部使うという感じでした。逆に言うと、こちらのメディア戦略が下手だったのかもしれない。今の官邸がやっていることのほうが、よっぽど上手なのかもしれないですね。
――かつては、舛添さんの人気ゆえに各所から応援演説を頼まれていたはずなのに、なぜ突然こういう形で逆転してしまったんでしょう。
舛添 頼まれていたからこそ落ちるのも早いというか。もっと言うと、最近の現象を見ていると、ボクシング連盟会長だった山根(明)さんという人がいましたね。それから、日大のアメフト部前監督(内田正人氏)。それぞれ、問題はあったにせよ能力があったからトップまで上り詰めた人たちだと思うんです。今の世の中は、トップの秀でた人を引きずり落として快感を味わうような面があるのではないか。そういう気がしなくもないです。
要するに、現代的な戦略としては、目立たないでやっておくというのが一番いい。総理が目立たないというわけにはいかないけれども、菅は目立たないのが上手い。現都知事の小池百合子は徹底的にその戦略に出ていますよね。露出すれば必ず目立つ。目立てば叩かれる。その対極にあったのが小泉(純一郎)さんでした。「自民党をぶっ壊す」と劇場型でやって、選挙に勝った。田中眞紀子にも近いものがあったと思います。今は、政治家が全面に出るパターンが利かなくなってきている時代です。平常時はそれでいいけれども、危機的状況へ陥った時、果たして誰がリーダーシップを発揮できるのか。私はこの点を懸念していますし、強い関心を持っています。
会見については色々な思いがあります
――なるほど。当時、メディアで舛添さんに対するバッシングが過熱した時、ご自身で様々な説明をされました。何も言わないほうが良かったんじゃないかと思われますか?
舛添 いや、それはどうなんでしょうね。会見については色々な思いがあります。都知事の記者会見は、もともと週1回だったものを私が「オリンピック前なのに、それでは間に合わないだろう」と言って週2回に増やしたんです。ところが、記者や都庁の報道担当が嫌がりました。何もない時は質問を求めても、誰も質問しなかったので、途中からもう一度、週1回に戻したんです。スキャンダルみたいなことは喜んでやるわけだけど。もし週2回だったら、あのバッシングも2倍になっていたかもしれません。