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「国際政治学者」の先駆け・舛添要一 「読売でもだめ、産経や『正論』に書いていた」“右派論者”時代

舛添要一インタビュー #2

2019/08/01

 近ごろはAbemaPrimeなどに出演している舛添要一さん(70)は、かつて一世を風靡した政治学者でした。東京大学助教授の頃から『朝まで生テレビ!』などの討論番組に多数出演。多忙をきわめた「文化人時代」と、当時まだ真新しかった“国際政治学者”を名乗るきっかけとなった「フランス留学」について聞きました。聞き手は、近現代史研究者の辻田真佐憲さんです。(全3回の2回目。#3に続く)

舛添要一さん

30年前、「国際政治学者」を名乗りはじめた理由

――今、「国際政治学者」を名乗る人はたくさんいますが、舛添さんはその先駆けのひとりとも言える存在ですよね。

舛添 そうでしたっけ。肩書をどうすればいいか分からなくて「長いけど、まあそれでいこう」と決めたくらいで。元東大助教授も変だし、評論家もいいけどせっかく昨日まで助教授だったんだから、政治学者のなかでも国際政治をやってきたので「国際」をつけました。いい加減です(笑)。

 

『TVタックル』のスタートと同時に東大を辞めた

――そうなんですか。 1989年、40歳で東大に辞表を提出して教職を退かれますけれども、その後、国際政治学者の肩書でテレビの討論番組などで活躍されますね。『朝まで生テレビ!』には、いつ頃から出演されていたんですか?

舛添 まだ大学にいた頃だったと思います。『TVタックル』のスタートと同時に東大を辞めたんじゃなかったかな。確か『TVタックル』や『朝生』、田原(総一朗)さんがやっていた『サンデープロジェクト』、それから『サンデーモーニング』。全部あれは同じ時期に出演していたと思います。関口(宏)さんと私は、いつも前の日の土曜日の夜、TBSがある赤坂の辺りでご飯を食べながら打ち合わせをしていましたよ。

 

――テレビ出演で何か印象深い出来事って、ありましたか?

舛添 今にして思うと、ものすごい数の番組に出演していましたよね。あの頃、バブルでテレビ局にはお金が潤沢にあったから、かなり海外取材に行けたことは非常に良かった。ベルリンの壁が崩壊した時、私あそこにいましたから。実際にあの壁を叩いて持って帰っているんですよね。自分でお金を出してやろうというのも大変だし、テレビクルーや支局の人たちが手伝ってくれるから実現できるわけですよ。