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「ママ」から「お母さん」への変遷

 仮説1について、ご説明しましょう。「お母さん」と言う若者は、謙譲語を知らないということになります。彼等は、家では母親のことを「ママ」と呼んでいるのかもしれませんが、他人の前で「ママ」と言うのは変だという意識は、かろうじて持っている。その時に、「お」や「さん」が付く丁寧っぽい言い方である「お母さん」を、よそゆきの言語だと思って、使用しているのではないか。

 仮説2。私の時代くらいまでの男子は、子供の頃は母親を「ママ」と呼んでいても、思春期になると急に恥ずかしくなって、呼び方を変えていたものです。その代表的な呼称が「おふくろ」であったわけですが、反抗期の只中だと「ババア」とか「おばはん」、「オイ」になったりしたもの。関西の影響が強い人の場合は「おかん」になったりもしました。

 しかし今の若者が、思春期にいきなり「ママ」→「おふくろ」に飛躍するとは、考えにくい。とはいえ「いつまでも『ママ』はいかがなものか」という考えは一応浮かび、思案の結果、「ママ」よりはきちんと聞こえる「お母さん」と呼ぶようになるのではないか。つまりそれは成長の証としての「お母さん」であり、本人としては「大人っぽく呼んでいる」と思っている可能性がある。

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 二つの仮説の正否ははっきりしませんが、とにかく彼等は「お母さん」を、外で口にしても恥ずかしくない言葉として捉えているわけです。だからこそ我が後輩も、

「僕が最後に感謝したいのは、お母さんです!」

 と、言い放った。

 この「お母さん」問題を苦々しく思っている中高年は少なくありませんが、この先彼等が「母」という言い方を用いるようになるとは考えにくいものです。そもそも日本語の尊敬語とか謙譲語とかのシステムが複雑すぎてよくわからん、という話もあるわけで、もうこのあたりで「謙譲語、廃止!」という動きになるかもしれない。若者が自分の母親のことを「お母さん」と言ったという時点で、「間違ってはいるが、よそゆきの言葉を使おうとしている」という努力を、評価すべきなのでしょう。

急速に接近している親子の距離感

「お母さん」問題以外での変化は、親子の距離が、特に2000年代以降、急速に接近しているということです。今や大学の運動部の行事や試合に、親が大挙してやってくる時代、ということは以前も書きました。親が試合会場で絶叫しても号泣しても、今の子供達は、

「恥ずかしいからあっち行ってろ」

 とは言わない。

 この現象を見て、私は最初、「若者達は、子供の頃からサッカーとかしているから、親御さんが試合に同行することに慣れているのかしらん」などと思っていたのです。が、原因はもっと根源的なものなのではないか。