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汚職の「温床」を作り出した不安定すぎる市政システム

 星は1901年、「剣客」の生き残り伊庭想太郎に刺殺されたが、その後も汚職は続いた。1920年、この年竣工した明治神宮の参道工事不正事件(砂利食い事件)に端を発し、東京瓦斯会社の値上げをめぐる贈収賄、多摩鉄道会社の買収工作と続いた。20年の暮れには、市民の市政改革の期待を背負って後藤新平が市長に就任したが、市会勢力と対立。2年半足らずで中央政界に戻った。「温床」は残されたことになる。

 現代の感覚で考えると、市政のシステムが複雑すぎる。特別市制度も関係して、市会が市長を選べる時期と選べない時期があるなど、制度が不安定。そもそも、国会議員と市議が兼任できる制度に問題があったのだろう。市長も衆院議員だったことがある。いまで言えば、小池百合子・東京都知事が衆院議員でもあるようなこと。それでは、国政での政党対立が市政にも持ち込まれ、競争型、利益誘導型の政治になりやすい。さらに参事会という制度。市議から選ばれるのが普通だが、市長、助役と並んで行政の主体だった時期もあった。昭和初期には補助的な議決機関(諮問機関的な存在)になっていたが、市政への影響力は残っていたのではないか。いずれにしろ、何か利権があれば、それをめぐって市会側の権限が強く、行政に圧力がかかりやすい体質だったといえる。

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「板舟権事件」「京成電鉄事件」次々に発覚する汚職

 そして1928年、本編にもあるように、一連の汚職事件のハイライトともいえる魚市場移転補償費に絡む贈収賄(板舟権事件)と、京成電鉄乗り入れ認可をめぐる贈収賄事件(京成電鉄事件)が表面化する。

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 板舟権とは、店頭で魚を並べて売った木の台を板舟といったとされ、魚を売る権利を表した。魚市場が日本橋から築地に移転するに当たって、不要になった板舟権をどう補償するかという問題だった。

 京成電鉄事件は、東京都心への乗り入れで東武に後れをとった京成が、市電の利益保護を優先する市会に5回も申請を否決されたことから、衆院議員でもあった本多貞次郎社長らが知人の政治家を使って市議に金を渡し、乗り入れ許可に賛成するよう工作した事件。「板舟権疑獄ますます拡大」「京成電車問題にも不正は次々に暴露」(8月16日朝日夕刊)、「第二次検挙開始され突如京電本社を襲ふ」(9月7日朝日夕刊)……。ニュースが毎日、紙面をにぎわした。

板舟権から京成へ汚職が飛び火した 東京朝日新聞より