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政府の方針を無視してドル買いを先導した三井財閥

 ところがその制度がイギリスにおいて停止され、英貨ポンドは急速に下落した。日本もそれに倣って、当然且つ必然に、外貨取引の自由を制限しなければならぬだろう、従って円貨の先行きは必ずや安いだろうとは、殆んど誰にも考えられたことであった。

 そこで円貨の先安――その半面ドル貨の先高――を予想した市場人は、大蔵大臣の護持声明にも拘らず、一斉に円売りドル買いに出動した。その政府の大方針と正面から張り合ってドル買いの先登に立つたのが正に三井財閥であり、その指導者が人もあろうに池田成彬だということになった。そして三井財閥はそれによって国家の犠牲において巨利を博した怪しからんヤツだということになったのである。

 当時大蔵大臣井上準之助は頑として日本の金本位停止を否定し、その護持の方針を声明しておった。そして円安を見越してのドルの思惑買いを国策の妨害となるものとして頻りに警しめた。だから当時の世間の印象からするならば、三井財閥は――従ってその総帥池田成彬は――時の政府の大方針に逆らい、国策の円滑なる遂行を妨げているということになった。三井のこの態度を快しとしない或る実業家などは「民間の代表的有力商社が時の政府の方針に正面から敵対して敢て譲らぬなどは、古今東西にその例を見ない由々しき重大事である」とさえ極言したものである。

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池田成彬 ©文藝春秋

ドル買いの総ての罪を三井財閥に

 そういう次第であったから、三井財閥は単に怪しからぬヤツだとして国賊呼ばわりを受けたばかりでなく、その後現実に日本の金本位が停止されて円貨の暴落が起こるや、三井財閥は国策の犠牲において巨利を博したのだと世間一般に確信され、三井一家も池田成彬も相次ぐ暴力団の訪問や寄付強要の脅迫を受けあらゆる迫害の波状攻撃に曝された。“三井ドル買い事件”とは、実にこのイキサツを指しているのである。

 後でも説く通り、若槻礼次郎内閣はその年の暮内務大臣安達謙蔵の叛逆にあえなく潰れ、同時に井上蔵相の金本位護持の努力も空しく消え去ったが、この政変の裏にも“ドル買い筋”の策動が臆測され、さらに三井財閥による“毒殺説”までが伝わった。固より特に根拠のあることではない。この説もまたドル買いの総ての罪を三井財閥に帰した伝説と同じものである。

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 当の池田成彬は「三井銀行の買ったドル為替はイギリスの金本位停止以後年末までに政府が現送した総額3億5000余万円の約1割に過ぎず、それも思惑的性質のものではない」と、その著書『財界回顧』の中で弁明している。尤も別の資料によれば、三井銀行の外に物産や信託の買いもあり、正金銀行の統制売総額7億6000万円の内三井関係全部で1億円見当に達し、ナショナル・シチー銀行に次ぐ額となっている。