十月十日、筆者が聴き手・構成を務めた新刊『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』が発売された。
これは、奥山がこれまでの映画人生を存分に語った一冊。一九八〇年代から九〇年代にかけての日本映画界の内情が幾多の壮絶なエピソードとともに浮き彫りになっている。
奥山といえば、前回取り上げた『いつかギラギラする日』をはじめ、当時の沈滞していた日本映画の空気を破壊せんというような意気込みがビンビンに伝わる、暴力的で刺激的な作品を連発してきた。しかも、松竹において、だ。その頃の松竹といえば、「男はつらいよ」シリーズに映画興行を頼り切っている状況。その中での奥山作品の存在は明らかに強烈な異彩を放っていた。
そこには、松竹、そして日本映画を内部から破壊して再生させていこうという自身の確信犯としての明確な意図があった――と奥山は語る。
今回取り上げる『丑三つの村』は、まだプロデューサーになり立ての時代の奥山が放った一本。この段階で、メッセージは既に提示されている。
戦時中の岡山の山村で村人三十人が一晩のうちに殺された実在の事件、通称「津山三十人殺し」。『八つ墓村』のモデルにもなったこの陰惨な事件を映画化した作品である。
主人公・継男(古尾谷雅人)は村一番の秀才と称えられ、夜這いの風習が残る中、女性たちと情事を繰り広げる。が、徴兵検査の際に肺病であることが判明、徴兵を免除されたことと病のために、村人たちは態度を一変させてしまう。
誰からも相手にされず、白眼視され、「村八分」の状況になった継男は精神的に追い詰められ、ついには改造銃と日本刀で武装、自らを阻害・嘲笑する村人たちに襲いかかる。
純朴な青年が徐々に狂気に駆り立てられていく様をヒリヒリする繊細さで演じる古尾谷、ドメスティックなエロスを見せつける五月みどりと池波志乃、ただ一人だけ天使のような温かみを放つ田中美佐子、村社会の恐ろしさを体現する夏八木勲・石橋蓮司・山谷初男――。役者たちの完璧な演技と田中登監督の抒情的な演出が、山奥の村の陰鬱な空気を見事に作り出し、逃げ場のない主人公の心理状況にリアリティをもたらしていた。
特に、ずっと二人きりで暮らしてきた祖母(原泉)を凶行に臨むにあたり、「俺を夜叉にしてくれ」と、斧で殺害する場面。たまらなく切ない。
詳細は『黙示録』で語られているが――恐ろしいのは、奥山がこれを松竹に対して勝手に作っていることだ。
「皆様方よ、今に見ておれで御座居ますよ」という継男の呟きは、奥山自身の日本映画界への宣戦布告でもあった。