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中年の女の声で、いかにも夫人らしい口ぶりの“電話”

 話は元にもどって、瓢の宴会はいよいよたけなわになった。だが、“謹厳”の標本みたいな人々の集りだけに、芸妓を呼ぶこともなく、賑かなうちにも慎みぶかく、ただ大いに飲み、大いに語るという程度だった。酒豪の石田検事は上京した検事正たちの座を回って、さかんに献酬をやった。丁度9時30分(この時刻は事件後にわかった)、女中がきて、

「石田さんというお方に、お宅からお電話です」

 と、告げた。石田検事はおかしいな、自宅から電話とはと腑に落ちないような面持だったが、すぐ電話室へいって、2、3分後に席へかえり、元通り勇壮に飲んだ。彼はけさ自宅を出る時、花枝夫人に、

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「今夜は宴会で帰宅が遅くなる」と言いおいたので、自宅からの電話だとすると、何か変ったことでも起ったのかしらと考えたらしい。だが、再び元気で盃を重ねたところをみると、気にかけるような電話でもなかったらしい。

 これもあとで分ったことだが、その時電話をかけたのは花枝夫人ではなく、電話を取りついだ女中の話によると、中年の女の声で、いかにも夫人らしい口ぶりを使ったということである。

 それから凡そ20分間ばかりすぎた頃、石田検事は懐中時計をのぞいて、

「今夜は用ができたから、これで失敬する」

 といって、みんなが引きとめるのもきかないで、席を立ちあがった。

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 同席の人々は、さっきの電話がそれだと思って、むりに引きとめなかったが、その電話の内容がどんなものであるか、誰も知らない。彼が料亭瓢の玄関を出たのは丁度午後10時だった。

腕と洋傘だけであるか、それともその腕が胴体とつながっているか、

 もう夜もほのぼのと明けていた10月30日の午前5時40分ごろだった。大森保線丁場に勤めている保線助手小峰友三郎(27)は、東海道線蒲田駅と大森駅間の線路巡視をしながら、大森駅の方に向って、線路を歩いていた。

 この日はとくに寒く、線路の枕木には白い霜が雪のように光っていた。

「おや、変なものが落ちている」

 彼は蒲田大森両駅の中間にあたる名もない長さ3間ぐらいの鉄橋の下の小川に、何か異様なものが落ちているのを発見して、思わず口走った。彼は高さ1間半ぐらいの貨物列車の線路から、腰をかがめて、真下の小川をのぞいてみると、たたんだ黒い洋傘の柄を、しっかりと握りしめている腕が見えた。腕と洋傘だけであるか、それともその腕が胴体とつながっているか、それはこの窪地までには、まだ黎光がさしていなかったので、小暗くてハッキリと見分けがつかなかった。

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 彼は急いで土手を駈け降りた。この小川は池上本門寺方面に通ずる道巾3尺ぐらいの道路に沿っていて、傍らに踏切がある。彼は初めてその左腕が胴体につづいていることを知った。死体は仰向けになっていて、胸から下が水の中に浸り、顔は水面に現われている。小川というよりも、溝のようなもので、大雨でも降らないかぎり、いつも水深2尺ぐらいしかなかった。彼は職務の関係で、一応しさいに死体の様子を見た。

 年齢は45、6で、面長の上品な顔に八字型の美髯をたくわえ、ラクダの黒オーバーを着ている。ネクタイはいくらかゆがんでいるが、結んだままになっている。どうみても相当の紳士である。汽車や電車に轢かれたり、跳ねとばされたりした模様もなく、ただ前額部と下顎部に擦過傷らしいものがあって、頰のあたりに僅の血がにじんでいる。