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連載昭和の35大事件

政治家の横領を追及した検事が謎の死…… “石田検事怪死事件”の真相に迫る「発生前夜」

政治家の横領を追及した検事が謎の死…… “石田検事怪死事件”の真相に迫る「発生前夜」

「社会悪を亡ぼすためには、死をかけても戦う」鬼検事に一体何が……

2019/10/27

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治

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自宅からだと偽って電話をかけた女は何者なのか

 この怪事件のカギを握る唯一の人は、宴会の席に電話を取りついだ女中である。彼女はお宅から電話ですと告げ、またその声は40歳がらみの婦人らしかったといった。すると、どうしても花枝夫人が浮かびあがってくる。

 ところが花枝夫人は、その朝主人が出勤する時、宴会で帰宅が遅くなると言ったので、当然遅くなるものと覚悟していたし、また電話をかけて帰宅を急がすような用件もなく、従って電話をかける必要もなかった。現に花枝夫人は「電話をかけたのは私でない」と、強く否定している。女中は参考人として何度も調べられたが、その供述には少しも狂いがなかった。

 では、自宅からだと偽って電話をかけた女は何者であるか。一説によると、石田氏は大森に愛妾をかこっていて、時々役所の帰りに立寄り、泊ることもあった、たぶんその女からの呼出しだろうということだった。捜査当局は“鬼検事”と呼ばれる石田氏も人間である以上、愛欲には変りがあるまいとみて、執拗に愛妾の在りかを探してみた。ところが、帰宅が遅くなった日や、たまに泊った日は、大森の親戚吉井桃麿氏宅を訪問したり、泊ったりしたことが明かになって、この愛妾説は、たわいもなく崩れてしまった。

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「石田という検事は憎らしい奴だ。今にみておれ」

 残された疑問は、その頃石田検事が最も峻烈に追及していた日本共産党の秘密結社事件と、松島遊廓事件だった。松島遊廓事件というのは、大阪市内の松島遊廓は風教上よろしくないというので、郊外へ移転することになった。移転先は2ケ所が候補地にあげられたが、そのうち一つの候補地を所有している土地会社が、政府与党の憲政会、野党の政友会、洞ケ峠の政友本党の首脳者並に政府要人に働きかけて、自己の所有地を指定して貰おうと、それらの人々に莫大の運動資金、つまり贈賄をしたという疑いである。

 その収賄関係について、若槻首相の名まで挙げられていた。もしこの事件が起訴となり、有罪となれば、各政党から多くの縄付を出すばかりでなく、内閣の命取りとなる、そこである方面から司法部に対して、この事件の揉消し運動が行われた。けれども清廉剛直な石田検事は、法を守るため断固としてこれを跳ねつけるばかりでなく、一段とその取調べが辛辣になった。

「石田という検事は憎らしい奴だ。今にみておれ」

 こうした声が政党の一部の者によって起り、また石田検事に対して、政党関係者らしい方面から、さかんに脅迫状が舞いこんだ。そうしたさなかに起った怪死事件であるから、勢い松島遊廓事件の被告やその一味に、疑いがかけられたのは当然である。

石田検事の怪死後、陸軍機密費事件は不起訴となった(東京朝日新聞)