文春オンライン

連載昭和の35大事件

政治家の横領を追及した検事が謎の死…… “石田検事怪死事件”の真相に迫る「発生前夜」

政治家の横領を追及した検事が謎の死…… “石田検事怪死事件”の真相に迫る「発生前夜」

「社会悪を亡ぼすためには、死をかけても戦う」鬼検事に一体何が……

2019/10/27

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治

note

3つの過失死説と、不審人物の目撃情報

 料亭瓢を出たのちの石田検事の行動について、検事局のある同僚は、

「石田君はあれから、省線有楽町駅から桜木町行きの電車に乗って、大森の親戚の宅を訪問するつもりだったらしいが、大森駅で下車することを忘れて、次ぎの蒲田駅に下車した。ところが、もうその時は電車もなくなり、また土地不案内だったので、線路伝いに大森方面へ歩いている時、下り列車が驀進してきて、アッというまに跳ねとばされたと思われる」と推断した。

 大森の親戚というのは、今日の大田区新井宿2153吉井桃麿氏のことである。

ADVERTISEMENT

 また警視庁や検事局の一部でも、

「有楽町駅から電車に乗るとき、相当に酩酊していたので、市ケ谷駅へ帰るのをまちがえて、反対の方向の桜木町駅行き電車に乗り、蒲田駅で初めて気づいてここで下車し、上り電車を待っていたが、なかなか来ないので、線路伝いに大森の方へ引っかえし、親戚の家に泊るつもりであったろう」と推測した、

 さらに検事局の一部では、

「大森の親戚を訪問するため、有楽町駅から電車に乗ったが、酔っていたので電車の中で眠ってしまった。ところがその電車は蒲田駅止まりだったので、客が降りると構内の車庫に入れた。石田検事は熟睡のまま車庫に運びこまれた。深夜の寒さで目がさめると、意外なところに寝ていたので、驚いて上りの電車に乗ろうとしたが、午前3時をすぎた頃で、もう電車の運転はなくなっていた。仕方なく線路伝いに大森へ引っかえしているところを、下り列車に触れて、鉄橋の下に跳ね落された。下顎部の傷は墜落するとき、鉄橋の橋桁で強打されたもの、左前額部の傷も橋桁で受けたものであろう」

 と、いかにも合点しやすい判断を下した。

©iStock.com

 以上3つの過失死説は、何れも線路を歩いている時、列車に跳ねとばされたということに一致しているが、意外にもそれを根本から覆す説が現われた。石田検事が怪死して2日目の夕刻、横浜に住んでいる外国の紳商H氏が警視庁捜査課に出頭して、

「私はあの晩新橋駅から桜木町行きの電車の二等室に乗っていた、乗客は私のほかに2、3人しかなかった。車内の出入口近くにうたたねをしていた紳士が、ふと目をさまして窓外を眺めるや否や、自ら電車のドアを開けて、徐行中の電車から飛びおりた。その地点は石田さんの死体が発見された場所だった。徐行したのは御承知のように、あの附近は線路修理中であるからです」と告げた。

 このほかにも、尤らしい過失説がいくらもあったがあるいはとうなずかれるようなものは、以上の4項だった。

 だが、いずれも根拠はうすかった。