不滅の記録かもしれない「21歳名人」
中原は名人を9連覇したが、10連覇をかけた第40期名人戦で加藤に敗れる。初挑戦から22年、42歳で悲願を実現した加藤だが、時代は早くも次世代のスターを生み出そうとしていた。
第41期名人戦で加藤への挑戦権を獲得したのは谷川浩司八段。加藤に続く史上2人目の中学生棋士であり、初参加のA級順位戦でも7勝2敗と先輩を圧倒し、中原とのプレーオフを制して挑戦権を獲得した。
「光速の寄せ」を引っ提げて名人戦に登場した谷川はいきなり3連勝。第4局、5局は加藤が意地を見せたが、箱根のホテル花月園で行われた第6局で21歳の新名人が誕生した。1983年6月15日のことである。
名人挑戦は棋士デビューから最短でも5年かかるため、21歳名人もあるいは不滅の記録かもしれない。藤井には記録更新の可能性があるが、それでも今後の順位戦で全く停滞せずにA級に上り、さらに1年目で挑戦し、奪取すればという極限の条件である。
谷川新名人に憧れて、多くの少年が棋士を目指した。その集団がいわゆる「羽生世代」である。
史上3人目の中学生棋士としてデビューした羽生が、初めてタイトル戦の舞台に立ったのは1989年の第2期竜王戦だ。研究会を共にし、公私で世話になった先輩の島朗竜王に挑戦。川崎市民プラザで行われた第1局は、史上初めてタイトル戦の公開対局が行われた。
史上初の10代タイトルホルダーに
羽生は当時のことを「9月18日の挑戦者決定戦に勝ってタイトル戦出場のキップを手に入れた時の気分は複雑だった。もちろん、嬉しいに決まっているのだが、その反面、不安もあったから。何しろタイトル戦を一回も見学しに行ったことがないので、何から何まで初めてづくしなのだ」と書いている。
ちなみに藤井は2016年の第29期竜王戦第1局で、現地の天龍寺を訪れている。
第2期竜王戦は4勝3敗1持将棋で羽生新竜王が誕生した。ときに1989年12月27日。19歳3ヵ月のタイトル獲得なので、史上初の10代タイトルホルダーとなった。
その数週間前、史上最年少タイトル挑戦を実現したのが17歳10ヵ月の屋敷伸之四段である。中原棋聖との五番勝負となった第55期棋聖戦が開幕したのは1989年12月12日だ。開幕前に中原は「一番イヤなのが出てきた」とボヤいたそうだ。親子ほどの年の差があり、正直やりにくかったとも振り返っている。
この時は中原がフルセットで防衛を果たしたが、第56期で屋敷が再び挑戦。フルセットの末に今度は屋敷が勝利。18歳6ヵ月の史上最年少タイトルホルダーが誕生した。
間もなく別表の通り、佐藤康光、郷田真隆といった新進気鋭が相次いでタイトル戦番勝負への登場を果たす。その中でも羽生の存在は抜きんでていた。1996年2月14日は羽生七冠誕生の日だが、当時の羽生は25歳4ヵ月。現在(2019年11月)のタイトルホルダーに25歳以下の棋士はいないことからも、羽生の凄さがわかろうというものだ。