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連載昭和の35大事件

【特高警察が証言】共産党員大検挙「三・一五事件」の知られざる内幕

2019/12/15

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治, メディア

「三・二六・后六時三越本店ショウウインド前」

 突如として行われたこの全国に亘る一斉検挙は共産党に一大衝動を与え、その組織の上にも大混乱を来たしたことは明らかである。彼等の秘密組織は縦の連絡はよく保たれているが横の連絡がない。従ってこの検挙が何処まで及んだものか最高幹部にも急には見当がつかなかった。この検挙に於て我々の捜査線上にのぼっていた者は五色温泉に於ける創立大会を中心にして、各所で持たれた細胞会議に関連した党員程度を出てなかった。当日検束した者で容疑薄弱の故を以て即日釈放した者の中にさえれっきとした党員のあったことが後に至って判明した様な訳であった。

 菊田善五郎に逃げられて痛く責任を感じた鈴木係長は係員を動員して心当りの個所に張込み、情報を集めて足取りをさぐったり涙ぐましい努力を続けた。

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 10日余に及ぶ内鮮係の努力を以てしても菊田の消息は杳として判らない。偶々取調べたレポーターの所持した紙片に「三・二六・后六時三越本店ショウウインド前」と書いたものと「白山上カフェー白バラ三・二七・后二時」と記されたレポを入手した。指定の時間より早目に三越本店のショウウインドウに待機した係員は遂に連絡者らしい者の姿を認めることが出来ず今日も空しく引き上げた。

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中央執行委員・中尾勝男の逮捕と暗号党員名簿

 翌日は若林警部補の率いる数名の係員が出動した。若林警部補は一人の係官と共に客を装うて白山上の白バラカフェーのテーブルでコーヒーを注文した。其の間他の者は一軒おいた家具屋に待機させた。定刻から5分程すぎて若い男が店の扉を押し開いて暫し店内を見廻したが、やがて中に入らず立ち去った。彼こそ怪しの者と若林警部補達は直ぐ様飛び出し件の男を誰何した。やにわに逃げ去らんとする相手を追い警笛を吹いて待機の係員と協力して漸く逮捕し、身体検査をした処、懐中にはブローニングの拳銃を持ち数種のレポを発見した。本庁に連行して浦川係長の取調べを受けた結果、彼こそは中央執行委員中尾勝男であることが判明した。

 更に所持の書類の中には検挙による混乱後の連絡に関する今後の対策に就ての意見書を始め、数字で綴られた数葉の書類があった。この数字の書類は暗号による党員名簿であることを自供したが、そのキーに関しては遂に口を緘して語らなかった。然し浦川係長の追及によってその内容は党員増加の状況、党員の社会的構成、党の組織等を記載すると共に、各地方委員会所属の党員名を記載したものであることを明かにした。尚現在の党員数は不良党員及び海外党員を除いて四百余名に達することを自供した。この中尾の逮捕によって党の現況を明かにすることが出来、今後の党の検挙対策に多大の貢献をなし、正しく三・一五事件に於ける殊勲甲の捕物であった。

 尚この暗号は軍の暗号研究家の1ヵ月余に亘る研究に依って遂に解読することに成功しその結果409名の党員の名が悉く判明した。但し最高幹部のみは偽名が記されてあった。

共産党員名簿のコピーも記載された(報知新聞) ©報知新聞

 菊田善五郎も引続き4月5日に逮捕された。