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暗号の名簿を判読し全国指名手配へ

 日本共産党の全国一斉検挙に関する一切の記事掲載禁止の結果、早くも色々なデマが飛び、為に世間一般の人心を動揺させる虞れがあったので、4月10日一部記事掲載禁止の解除をなすと共に日本共産党と最も密接な関係ありと認められた労働農民党、日本労働組合評議会及び無産青年同盟に対して結社禁止命令が発せられた。その命令書は内務大臣から警視総監に宛て伝達方を命じたものであった。

解禁された「三・一五事件」記事(東京朝日新聞) ©朝日新聞

 かくて本事件の一部発表は各方面に多大の反響を及ぼし社会全般を痛く震駭せしめた。

 3月15日の一斉検挙以来引続き捜査陣は必死の探索を続け、4月24日には逮捕を免れて逃亡中の党首脳部渡辺政之輔、福本和夫、佐野学、三田村四郎、丹野節、鍋山貞親、市川正一、国領伍一郎、難波英夫、長江甚成等九9名の写真2万枚を作成添附して22名の指名手配を全国各府県になし、更に中尾勝男の所持していた暗号の党員名簿の判読に成功した後、改めて未逮捕の党員に対しても指名手配をした。その結果は次の様な主要人物の逮捕にまで発展したのである。

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主要人物の連続逮捕

 4月7日には関東地方委員会本部の所在をつきとめて之を襲い、多数の重要書類を押収すると共に委員長村尾薩男を検挙し、引続き同所に張込んで実包を装塡した拳銃を所持していた門屋博を始め浅野晃、木村節夫、内垣造、田中稔男、曽田英宗等の主要人物を連続的に逮捕すると共に、本部印刷局に於てはその責任者今野健夫を検挙し多数の印刷物と印刷機械等を押収した。

浅野晃 ©共同通信社

 芝区三田四国町の自宅で所轄愛宕警察署員の監視の下に宿痾の肝患を静養しつつあった評議会の幹部で、先の総選挙に北海道から立候補した山本県蔵は巧に監視の目をくらまし5月8日の昼間逃亡姿をくらまして了った。彼は一時浅草金龍山瓦町の三田村四郎のアジトに身を寄せていたが、やがて秘かに国外に脱出して入露した。第六回コミンテルン大会に日本代表として参列し、爾来ロシアに滞留して片山潜亡き後を受けて重要任務についていた。其後杳として消息を絶っていたが、先年彼の地で客死した様である。

 福本和夫は山川均の方向転換論を完膚なき迄に批判して以来山川に代って党の思想的指導者となり、その理論闘争論は福本イズムの名を以て思想界を風靡した。然し7月テーゼに依て福本イズムもその誤謬を指摘せられ、帰国後は徳田球一と共に中央執行委員の地位を失った。然し彼一流の独逸語直訳の難文は却って魅力を持ち同志の出入も頻繁であった、就中女子学連の若き女性の崇拝者が多く、神奈川すみ、下田文子、中村恒子等の女性を悉くその手中に収め同志の顰蹙を買った程であった。

福本和夫 ©文藝春秋

 ロシアから帰国後一時市外長崎町の洋画家前田寛治方に身を潜めていたが、翌年3月には小石川区小日向水道町平井泰造氏方に秋山利春と偽名して移り住んだ。この隠れ家を探知して5月24日襲った時は既に中村恒子を伴って西下した後であった。大津市士官町医博稲富稔氏方から大阪市住吉町辻村徳次郎方に毎日新聞記者後藤浩と偽って居住している所を探知して、大阪府庁に手配し、6月28日出入橋から桜橋方面へ歩行中を府庁の刑事課員に逮捕された。彼はやがて東京に護送されたのである。

 川合悦三も8月4日遂に下谷のアジトに於て捕えられた。