昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載昭和の35大事件

2019/12/29

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治, メディア

犯人は「死体を平然と扱い得る職業のもの」の仕業か

 詩のように美しくロマンティックな青葉の坂田山、教会堂に結ばれた恋、相寄りそうてとわの眠りについた慶応ボーイと令嬢、そして深夜の墓場から忽然として消えていった美女の死体――

 ニュースの夏枯れに条件は揃っていた。事件は船小屋からの死体発見、清かった2人の恋……によって更にヴァリューを加え、夕刊から朝刊へ! 朝刊から夕刊へ! 各紙はきそって紙面を飾った。横見出しの“天国に結ぶ恋”青葉の坂田山心中のトップ記事に五郎君がセルフタイマーをかけて撮った三段抜きの2人の特種写真、名編集子佐藤勇生君のつくったこの日のT紙社会面は読者をウナらせた。

 さて事件は着衣目あての物盗りでなく、体は汚されていない、となると一体犯行は何者の手によって何の目的で行われたか? 捜査陣はあらゆる角度から推理して、深夜他人の墓場に忍び込んで死体を掘り出し、しかもそれをかついで船小屋まで運んでゆく……これは普通人にはとうていなし得ないわざである。犯人は死体を平然と扱い得る職業のもの、という意見が大勢を支配した。その夜遅くわが家へ帰っていった刑事のなかには、寝ている女房をたたき起し『仮装死体』にして部屋の中を引きずり廻したほど熱心なのもいた。

©iStock.com

「法善院の方角へ向って歩いていったのを見た」

 あくる日の捜査会議は、そんな程度では結論は出て来ない、ということになって盗まれた実物にひとしい重量を持つある勇敢な巡査の細君を口説いて『仮装死体』に仕立て深夜犯行現場の墓穴の中の棺に入れ、これを刑事たちがかわるがわる、引ずり出しては船小屋まで運ぶ、という実にご念の入った実演が行われた。

 この実演によって度胸さえあれば単独でも易々として行い得る、という結論を出した。この実演には長吉爺さんも講師のような立場として招かれたしこれまでも、しばしば体験から得た傾聴すべき参考意見を提供し捜査本部から大変重宝がられていた。この間既に大磯署は情死体発見の日坂田山の現場や、法善院の墓地へ集ってきた弥次馬の中から300人余りも取調べている。

 こうした実演や、聞き込み捜査で確信をつかんだらしくまず火葬人夫8名を留置取調べ、最後に伊藤道五郎(45)伊沢弥一(40)を容疑もっとも濃厚として残した。2人は何れも長吉爺さんの児分だった。だがこの2人もだんだんシロくなり捜査首脳がすっかり頭を抱え込んでいたある日の夕方、S刑事がふッ飛んで捜査本部へ帰ってきた。

 彼が捜査首脳を雀躍させたきき込みによると2人の情死者を葬った日のよる11時ころ長吉爺さんがひとりトボトボと法善院の方角へ向って歩いていったのを見た、という目撃者をつかんだからである。

©iStock.com