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連載昭和の35大事件

2019/12/29

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治, メディア

「坂田山心中」と命名

 ひるの食事を摂ろうとして私が大磯署の門を出たのと、血相変えて2人が警察へ転がり込んできたのと、殆んど同時だった。ニュースに飢え、夏枯れをかこっていた私は受付の栗原巡査が聴取する現場の模様を傍でききながら『これはいただけるぞ!』と思った。だが肝心の現場である山の名が発見者にも判らないし、栗原巡査も知らなかった。時計の針は刻一刻夕刊の締型り時間に迫ってゆく。

 私は咄嗟に町役場へ駈けていって、土木係から古い地図を引張り出して貰って調べた。そこは、『八郎山』というのだった。八郎山――ちょっと詩になりそうもなかった。私はその地図で駅の付近が坂田という小字であることを発見したので、早速それを頂戴におよんで『坂田山心中』とした。

 電話で原稿を送り終った私は、検視に向った大磯署員の後を急いで追った。現場は目にしみるような青葉の雑木林である。脚下には相模灘の荒波が白砂青松の渚を洗い遥か沖合に大島が夢のように浮んでいる。その頂きから裏側へ十数メートルほど降りた山の中腹の雑草の上に2人は相擁して死んでいた。

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「もうすぐお母さんの傍へいくことが出来ます」

 女は藤色のお召の着物に塩瀬と博多の合せ帯をしめ、死せる後も醜き姿をさらすまじとしたのであろう、帯しめで両足をしっかと結えていた。男は慶応の制服、枕辺に昇汞の空壜、制帽、赤いハンドバッグ、白秋の『青い鳥童話集』、羽仁もと子著『みどり子の心』そして小鉢に植えた紫のヘリオトロープの花、『青い鳥』の本の上には2人の死を見守るかの如く、2個の腕時計がコチコチと時を刻んでいた。2人は永い間交わした恋文も燃やした。1個の灰塚がそれを無言に物語っている。

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 詩になりそうな美しい情死現場である。女のハンドバッグや男の洋服のポケットを検視の係りは丹念に調べていた。出てきたのは20円余りの現金と父と姉に宛てたらしい次のような遺書だった。

若し私が、6日よるになっても帰らなかったら、もうこの世のものではないと思って下さい。かずかずの御恩の万分の一もお返し出来なかった自分を残念に思っています。御相談申上げなかったのは、八重子さんに私を卑怯者と思われたくなかったからです。

 

そしてこの上お父様に御心配をかけたくなかったのです、(略)幸子を可愛がってやって下さい、もう真実の兄がいなくなるんですから(略)先月17日以来心がけて全部部屋を整理して置きました、今日は花を飾り、生みの母、懐しいお母さんのお墓にもお詣りしてきました、もうすぐお母さんの傍へいくことが出来ます。

  五郎

 この遺書によって男は五郎君、女は八重子さん、というらしいがこれだけではどこの五郎君か八重子さんか知るすべがなかった。2個の情死体は大磯署の広田芳男嘱託医の詳細な検視の後身許不明の変死者として町役場に引渡された。