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連載昭和の35大事件

「坂田山心中」で考える、なぜ1932年の日本はこれほどまでに猟奇事件を求めたのか

4年後には「阿部定事件」「二・二六事件」が

2019/12/29

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治

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解説:時代が求めていた「物語」

 昭和7(1932)年は異様な年だった。「昭和の35大事件」を見ても、「玉ノ井バラバラ事件」「反トーキーストライキ」「ギャング共産党事件」がこの年だし、「三井銀行のドル買い」に関連した「血盟団事件」も同じ年。「番外編」で取り上げた「鳥潟静子の結婚解消」「白木屋の大火」もそうだ。そしてこの年、人々に最も強い印象を残したのは、この「天国に結ぶ恋」、通称「坂田山心中」。他の事件以上に、良くも悪くもメディアの役割が大きかった。あるいは、時代がそうした「物語」を求めていて、ニュースを大きく作り上げたともいえそうだ。

 本編の筆者である、当時東京日日新聞(現毎日新聞)大磯通信員の岩森伝記者が最初に書いた記事は、同年5月10日付(実際は9日)夕刊2面最下段のベタ記事(1段見出し)になった。「草花を枕辺に 大磯心中 9日午前11時ごろ、湘南大磯町坂田山頂に昇汞水を飲んだ情死体があった。男は慶応の制服制帽を着けた25、6歳、女は21、2歳、令嬢風で、両名とも林間に行儀よく横臥し、枕辺には名も知れぬ一鉢の草花が置いてあった」。

©iStock.com

 この事件では、岩森記者の活躍もあり、東京日日の報道が目立った。証言通り、一報の段階から「坂田山」になっている。東京朝日も10日付朝刊で「慶大制服の青年心中 令嬢風の女と大磯駅裏で」というベタ記事だった。昇汞水は塩素と水銀の化合物に食塩を加えて水に溶かした液体。猛毒で防腐・消毒のほか、写真の現像にも使用され、2人が飲んだのは、調所五郎が趣味の写真で使っていたものだった。

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 これだけなら世間を騒がすことはなかった。時代を象徴するようなビッグニュースになったのは、本編にもある通り、心中相手の湯山八重子の遺体が盗まれたからだ。

犯人は変態? 復讐?

「慶大生と心中した 令嬢の死体盗まる 仮埋葬中奇怪な事件」。5月11日付東京朝日夕刊は2面中央4段の扱い。東京日日は2面トップで「大磯墓地の怪異 女の死体を盗む 慶大生と心中した相手 犯人は変態? 復讐?」。この段階で2人の身元が判明。五郎の遺書も明らかにされた。

1932年5月11日東京朝日新聞

  そして、11日付東京日日朝刊は「怪異を産んだ情死 設計を前に空し 父が情けの『愛の巣』 女の縁談からこの破局 若き二人の恋の足跡」の見出し。社会面の約3分の2を使って、五郎がセルフタイマーで撮影したツーショット写真も掲載。五郎の父親の話などを基に、2人の家族関係と人となり、恋愛の経緯などをまとめている。「死女を抱く悪魔」と犯人像を推理。「埋葬関係者六名を留置」と捜査の動向も報じている。同じ写真は読売にも載った。

2人の写真を載せた東京日日新聞の報道