「地球全体に自殺ムードが漂っていた」
「神奈川県警察史中巻」も「このころの一般的社会情勢の中にも、人を自殺に導く原因が限りなく内包されていた」と認めている。
加藤秀俊「『死』への親近感―自殺―」(「昭和史の瞬間 上」所収)はその原因として、第一に「経済の問題」を挙げている。「昭和初期が世界恐慌のあおりを受けた不景気時代だったから」。次いで「生命観の問題」。「ひとのいのちのつまらなさみたいなものが社会の底流を形成していたのではないか」。そして第三にヨーロッパやアメリカとも共通する現象として「地球全体に自殺ムードが漂っていた」とした。
1932年は1月に「上海事変」が発生。血盟団による要人暗殺が起き、「満州国」が建国。そして、この事件が新聞紙面をにぎわせていたさなかに、犬養毅首相が海軍青年将校らに暗殺される「五・一五事件」が起きている。
私はそこから、この「昭和の35大事件」でも取り上げた「阿部定事件」と「二・二六事件」の関係を想起する。
「純愛を貫き死を選ぶ物語」が求められた時代だった
正規軍による軍事クーデターと戒厳令という異常事態の中で強い不安と恐怖を抱いていた国民に、男を殺して切断した局部を持ち歩くという異常な行為は、倫理を突き抜けた性愛の極致として、一種の爽快な解放感を与えたのではないか。同様に1932年の日本人の多くが、猟奇的な事件展開への興味と同時に、それを乗り越える「死による純愛の成就」を心情的に求めていたのだと思う。
「はやり唄の女たち」は「『天国に結ぶ恋』、それは国自体が破滅に向かう軍国主義の激しい濁流に投げられた一輪の白い花のようであった」と書いている。
そう考えると、メディアの受け手である当時の国民にとっては、湯山八重子が「純潔」だったかどうかという「真実」はどうでもよかったのではないか。戦争の大きく暗い影のため、先が見えなくなりつつある中で、たとえフィクションであっても、「純愛を貫き死を選ぶ物語」が求められたのだろう。そこには時代の流れへの反動とメディアの過熱が大きく働いていた。これもまた90年近く前のことと片づけられない問題をはらんでいる。
本編「慶大生との心中自殺……埋葬されたはずの“美しすぎる令嬢”はどこへ行ってしまったのか?」を読む
【参考文献】
▽神奈川県警察史編さん委員会「神奈川県警察史中巻」 神奈川県警察本部 1972年
▽井手ちゑ「坂田山心中と私」=「文藝春秋臨時増刊『目で見る昭和史 決定的瞬間』」(1971年)所収
▽池田房雄「後追い二百件『天国に結ぶ恋』の呪縛」=「文藝春秋『昭和の瞬間』」(1988年)所収
▽東京12チャンネル編「証言 私の昭和史 第1巻」 学芸書林 1969年
▽小沢信男「美談―天国に結ぶ恋の顛末」=「犯罪紳士録」(筑摩書房 1980年)所収
▽升本喜年「人物・松竹映画史 蒲田の時代」 平凡社 1987年
▽「キネマ旬報増刊『日本映画作品全集』」
▽長谷部敏雄編著「『私版』河合、大都映画(1)河合映画の作品抄」 タケイ企画 1993年
▽筒井清忠「西條八十」 中央公論新社 2005年
▽西沢爽「はやり唄の女たち」 新門出版社 1982年
▽加藤秀俊「『死』への親近感―自殺―」=「昭和史の瞬間 上」(朝日選書 1974年)所収
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