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自殺志願者が続々「坂田山」へ

 レコード業界も人気に目をつけ、競作に。ビクターは柳水巴・作詞、林純平・作曲、徳山璉(たまき)と四家文子のデュエットで6月に発売。当初の曲名は「相模灘エレジー」だったが、松竹映画の主題歌になり、同じ題名に変更された。柳は西條八十、林は松平信博の変名で、筒井清忠「西條八十」によれば、会社が「本名で発表すると、世論でたたかれるといけない」と心配したためという。

 西沢爽「はやり唄の女たち」によれば、タイヘイ・レコードは水木精二・詞、豊田義一・曲、黒田進(のちの楠木繁夫)・歌で、ポリドールは大木惇夫・詞、近藤政二郎・曲、青木晴子・歌で、そしてリーガル・レコード(コロムビアのマイナーレーベル)は小室信・詞、水島宵二(古賀政男)・曲、矢野秋雄(米倉俊英)・歌でそれぞれ発売した。しかし、「ビクター盤が圧倒的に大衆に愛唱されて今日に残った」(同書)。「二人の恋は清かった 神様だけがご存知よ 死んで楽しい天国で あなたの妻になりますわ」という情緒たっぷりの歌詞が人々に口ずさまれた。

 映画やレコードの人気も加わった結果、翌年の大島・三原山と同様、自殺志願者が続々「坂田山」を目指すように。「神奈川県警察史中巻」にはこう書かれている。「神奈川県警察部刑事課調査の『情死調』(昭和7年1月以降)という珍しい表がある。これによると、昭和7年中に起きた県下の情死事件は59件を数え、その内訳は恋愛関係40、生活苦6、病気6、家庭不和4、原因不明3となっている。つまり、恋愛関係にありながら、夫婦になれないのを悲観しての情死が全体の68%を占めているわけである」。

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 同書は「ロマンチックな歌詞に陶酔し、その主人公のあとを追うように自殺していくものが続いた」とする。

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映画館で「天国に結ぶ恋」を見ながら昇汞水を飲む若者まで

 本編に登場する広田芳男医師は「婦人公論」1935年10月号で「この事件以後、恋の聖地坂田山へ詣でて服毒心中しようとした志願者約600人の生命を救った」と証言している。映画館で「天国に結ぶ恋」を見ながら昇汞水を飲む若者も出てきて、五所監督は「証言 私の昭和史」で「たいへん困ったことになったと思いました」「当時、地方では、今と違って条例による検閲のようなものがありまして、上映を禁止した県もあったようです」と語っている。

「それまで閑静な別荘地であった大磯は、一躍“恋のメッカ”となり“心中の大磯”となった。名物の“夫婦饅頭”や記念絵葉書が売り出され、心中現場を見に来る人々で大磯の町はごった返したといわれる」(「神奈川県警察史中巻」)

 しかし、美化されてブームになったように、事件は本当にロマンチックで、「二人の恋は清かった」のだろうか。本編に、八重子の遺体の検視をした広田医師の言葉が出てくる。「御両人もって瞑すべしさ」。筆者は「若き今日の情死者、その二人だけしか知らぬ秘密、広田医師はそれをちゃんと識っていた。しかも昨夜の最後を惜しんだそれまでも……」と記述。

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 さらに、盗まれた遺体が海岸で発見された後、大磯署長と裁判医が「純真むくの処女だったよ」と発表したのを「これが『私の恋は清かった……』となってこの情死事件を一層美化したのである」「検察陣の心からなる手向の言葉であると思った」と書いた。そこからは実相がはっきり顔を出している。さらに、一部の資料には、裏付けはないものの、八重子が妊娠していたという記述もある。それを「純愛伝説」に祭り上げたのは新聞などメディアの力だったが、そこには「時代の要請」があったといえるのではないか。