昭和7年、坂田山に起った悲恋と猟奇の心中事件、描くはこれをスクープした当時の毎日大磯通信員
初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「天国に結ぶ恋」(解説を読む)
私はいまも、東海道線を旅するごとに、一瞬車窓から飛び込んでくる大磯の小さい山々に限りなき愛着と、懐旧の念を禁ずることが出来ない。一種の感傷に誘いこまれるのである。
というのは、そこには私の名づけた、恋愛史上に不朽の名を残したロマンティックな一個の山が、いまもそのままの姿で残っているからである。
草花を枕辺に大磯で心中した2人の若者
もう20年余りにもなる。人々は東京音頭に浮れ、さくら音頭に酔うてわが世の春を謳歌した、まだニッポンが幸福の絶頂にあったころのこと――昭和7年5月9日T紙の夕刊社会面に、『草花を枕辺に大磯で心中』と一段見出しで9日午前11時半ごろ湘南大磯町坂田山山頂の雑木林の中に昇汞水を飲んだ情死体のあるのを松露採りの青年が発見。大磯署で検視したが身許不明、男は慶応の制服で25,6歳、女は21,2歳令嬢風、2人は雑草の中に横臥枕辺には名も知れぬ可憐な草花が供えてあった。
この日直さんは、兄の重吉さんを誘って小千畳山から尾根づたいにカサカサと熊笹をかきわけながら『松露』を求めて駅の裏山へ出た。もうひる近かった。
『こんな雑木の中にアねえぞ、降りよう』
直さんはふもとに見える松林をさして小径を降りかけた。重吉さんも続いた。すると先にたった直さんが急に棒をのんだように立ちどまった。
『シッ!』
重吉の歩みをそっと制した。
『あれを見ろ! あれ……』
直さんは小声でささやいた。彼の指先は10メートルほど先の山の中腹の草むらを指していた。直さんは重吉さんの肩越しに覗き込んだ。そこには2個の青春が、1個の青春の塊りとなって転がっていた。
『ちぇッ! ふざけてやがらア、真ッぴるまから……』
若い直さんはしゃくにさわったのかいまいましそうに舌打ちをした。
『兄ちゃん、もちっとそばまで行って見ようか』
『うん』
2人は若葉がくれに数メートルのところまで忍び寄って、うつぎの木蔭に身を匿した。四ツの眼はまどろぎもせずジッとその塊りを擬視した。
『あれえ、変だぞ、動かねえや……』
あたりは死のように静寂だ、青葉の小枝を2羽のモズがチチチと飛び交うている。ポーポー、遠くから“ふくろう”の声がきこえてくる。
うつぎのやぶからそっとはい出した2人は怖る怖る、それに近づいた。2つの顔は覗き込んだとたん、
『あッ! 死んでる!』
『心中だ!』
2人は転げるように山を駈け降りた。