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連載昭和の35大事件

2019/12/29

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治, メディア

船小屋の中から発見された八重子の死体

 五郎君の父定氏は、はたのみる目も気の毒なほど落胆し、また持病の中風症で床にあった八重子さんの父元村長の荘作氏と母けいさんは亡き娘への不明をわびて泣いた。

 身許がわかって東京から、裾野から、遺族や親戚や村人たちまでが駈けつけてきて捜さく隊に加わった。新聞とラジオでこの美しい情死と猟奇事件を知って集ってくる弥次馬の群で大磯の昼間人口はぐんぐん殖えていった。

 深夜の墓場から忽然と消えた八重子さんの死体はその日、10日のひる近く現場から100メートルほど離れた相模漁業会社の船小屋の中から一糸纏わぬ裸体となって警官と消防隊員によって発見された。

 死体は7トンほどの漁船といけすかごとの間に恰も砂浜に浮き彫りした、美しい女神の塑像のような姿で発見された。私より数メールほど先を歩いていった消防隊員が『あッた!』といって船小屋から飛び出した。その振動で全身を覆っていた砂がサラサラとふるい落されて美しき塑像が現われたのである。紛失していた紫色のお召の着物も傍らの船底から発見された。

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「坂田山心中」を美化した“冒されてなかった死体”

 事件は物盗りの犯行でなかったことがまず明瞭になった。死体に異状はないだろうか? 検察陣も報道関係者もこの点に関心を集中していた。一部の検察関係者以外弥次馬は遠く追払われ、新聞記者や遺族すら遠ざけられて奥田剛郎検事ら立会のもとに藤井裁判医の手で死体検視が行われた。報道陣はかたずを呑んで結果を待った。やがて数十分の後千葉署長と藤井裁判医が報道陣の前に現われて、

『諸君安心してくれ、純真むくの処女だったよ』

 と発表した。報道陣は前線通信本部をめざしてさッと駈け出した。これが『私の恋は清かった……』となってこの情死事件を一層美化したのである。然しきのうの夕坂田山でもの言わぬ彼女のすべてを識ってからの私にはそれがプラトニックのものであったとか、なかったとかは今はすでに問題ではなかった。要するに彼女が深夜の墓場から消え去ってから、その死体に何の異状も起っていなかったか、つまりその死体が何者かによって冒瀆されてはいなかったかどうかに私は深い関心を持っていた

 。だが私は、千葉署長と藤井裁判医の発表した『純真むくの処女』それを検察陣の心からなる手向の言葉であると思った。そしてそれより、死後何者にもその肉体を冒されていなかったことを確認した。

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