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連載昭和の35大事件

2019/12/29

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治, メディア

事件の背後に政治の影

 間もなく調書を添え長吉は小田原検事局へ送られてこの事件に終幕がおろされた。終始検察陣を指揮していた真田剛郎検事は『死体は既に一個の物体である。屋外にあった物体の一盗難事件に過ぎない。これはあくまで読者や諸君(ジャーナリズム)の事件だったよ』と笑いながら大磯を引揚げていった。

 その後長吉爺さんは『死体遺棄罪』という極めて軽い罪名で起訴され8ヵ月の禁個に処せられて服役、出所いくばくもなくして死んでいった。死ぬとき長吉は『あれは違う違う』と謎の一言を残していった。

 いまもそうだが湘南地方は神奈川第三区としてむかしから政争激甚の地として有名であった。政府が交代するごとに地方の警察署長まで代らせられた。『民政会』から『政友会』に政権が移ったとき大磯署長のWもクビが危くなった、地方政界の重鎮郷土久蔵県議らを歴訪してWは哀訴歎願助命運動に狂奔したが容れらずとうとう解職されてしまった。Wは以来極端に郷土県議を恨むようになった。

 政争とこのグロ事件――一体どんな関係があるのか? どこの漁村でも海上で人間の死体を発見したときはこれをマグロと称し豊漁の前吉兆として漁師たちはホトケさまを非常に遇するがその反対に陸から発見されたときは凶漁として頗る忌みきらった。こんどの事件で死体のかくされていた船小屋はその郷土県議を社長とする『相模漁業会社』の所有であった。問題の夜2度も長吉爺さんの家を訪れた謎の人物がいた。それがクビになったW署長であったことは捜査本部もちゃんと識っていた。

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大磯は一躍自殺の名所に

 事件はかたづいたが、ジャーナリズムに、歌に、映画に、当時のミーハー族を煽ったからたまらない、天国に結ぶ恋『坂田山心中』は全国を風靡し大磯は一躍自殺の名所となり死に憧れ、死を讃美する若ものたちが大磯へ! 坂田山へ! と集ってくるので町役場も警察も遂に悲鳴をあげてしまった。

 睡眠剤をのんでコンコンと天国への路を歩む若い女を私は広田医師とともに胃洗や注射によって何人かこの世へ呼びもどしている。銀座のオーロラの美しいダンサー留々子(20)もそのひとり。彼女が刑事部屋で手当を受け眠りから醒めてすっかり元気を取り戻したとき私達は傍らで救命祝にビールで杯をあげていた。むっくり起きあがった彼女『あら私ついであげるわ……』彼女も飲んだ、タンゴを踊った。そしてパラソル、コンパクト、時計、香水を『これキネン!』といってみんなに手渡し私たちがあっけにとられている中を『バイバイ』と高く手を振って帰っていった。

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 私はこの稿を草するにあたってあれ以来はじめてペンの古戦場大磯を訪れてみた。坂田山へのぼる細い小径のそこここに咲遅れた山百合の花が淋しく私を迎えてくれる。現場にたって瞑想する私の耳へかすかに波の音がきこえてくる。子守唄のように――チチチとモズがないている……

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