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犯行を自供した男性は果たして真犯人だったのか

「怪異の謎遂に解く 令嬢死体泥棒は 六十五歳の〇〇 十日目にやっと自白」。発生報道から9日後、5月19日付東京朝日夕刊は2面トップで火葬場作業員リーダーが犯行を自供したことをこう報じた。「〇〇」は当時の検閲ではなく、現在「差別語」として新聞などでは使えない言葉だ。

「おぼろ月夜に物凄い死体愛撫 美人と聞いて尖った猟奇心」と見出しもおどろおどろしい。本編では、本人が「あれは違う」と語って死んだと書いているが、確かに彼が真犯人だったのか、疑いは残る。小沢信男「犯罪紳士録」の「美談―天国に結ぶ恋の顛末」は、「人に命じられてやった」という説や「拷問に苦しむ仲間をかばった」という見方を示しているが、裏付ける資料はない。

「遺体を盗んだ」との自供を報じた東京朝日

事件報道の4日後に発表された「映画化」

 そして、事件への関心の高まりに目をつけた人物がいた。升本喜年「人物・松竹映画史 蒲田の時代」によれば、当時松竹蒲田撮影所で企画などの仕事をしていた野口鶴吉は、5月13日付東京日日朝刊の記事を読んで「これだッ」と思った。「このまま映画にしたら、感動の一編になる。『天国に結ぶ恋』という六文字も、純愛映画の題名として秀逸である」(同書)。野口は独断で監督五所平之助、五郎役は竹内良一、八重子役は川崎弘子と決め、城戸四郎撮影所長の了解を取り付けた。

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 竹内はその5年前、女優・岡田嘉子との“駆け落ち”騒ぎで資格を剥奪されたが、男爵家の生まれ。川崎は蒲田のトップ女優で、新聞に載った八重子の写真と面影が似ていたのが決め手だった。

 折衝の結果、早くも5月14日付東京日日夕刊2面には「殉情の愛を銀幕に再現 松竹がトーキーに」という記事が載る。「直ちに映画化し、数日中に撮影を開始する。題名は13日本紙朝刊記事の見出しをそのままに……」。スタッフ、キャストは大磯の現場などを訪れ、映画は1カ月足らずで完成。サウンド版(サイレントからトーキーへの移行期に、音楽や効果音だけを入れた形式)で6月10日、東京・浅草の帝国館で封切られた。

松竹映画「天国に結ぶ恋」の新聞広告。「大磯事件にヒントを得たる」とある(右から左に読む)

 結果は大ヒットで、「キワモノではあるが五所平之助のメロドラマ監督としての才能が発揮され大いに俗受けし、封切館では三週続映となった」(キネマ旬報増刊『日本映画作品全集』)。長谷部敏雄編著「『私版』河合、大都映画(1)河合映画の作品抄」によれば、同じ日には、中小映画会社の1つ河合映画が製作した「大磯心中・天国に結ぶ恋」(吉村操監督、琴糸路主演)も公開されている。