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『アナ雪2』と『ナウシカ』の一致に見る、「フェミニズム以後の時代」が抱える問題点

2019/12/21

『風の谷のナウシカ』と一致する点が多数

 それは、『風の谷のナウシカ』である。それも、映画版ではなく、連載が1994年に完結した漫画版だ。

風の谷のナウシカ 1

『風の谷のナウシカ』の映画版では、「腐海」と呼ばれる毒の森のほとりの小王国の王女ナウシカが、その森の真実、つまり、腐海とは核戦争を彷彿とさせるかつての災厄によって汚染された大地を浄化する生態系であることを発見する。

 しかし、漫画版では、その「真実」がさらなる真実によってくつがえされる。「腐海」は、1000年前の災厄にあたって、科学者たちが人工的に作り出した浄化装置だったのである。それだけではない。ナウシカたち人間も、汚染された大気に耐性を持つように操作された「人造人間」だったのだ。大地が浄化された際には、ナウシカたちは、胎児の状態で保存され、攻撃性を取りのぞかれた人類と取り替えられる計画と取り替えられる計画だったのである。

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 この真実を知ったナウシカは、旧人類の技術と胎児が保存された「墓所」という施設を破壊する。自分たち人造人間も「生命」なのであり、旧人類の計画に従うことなく生きていくのだと宣言しながら。

どちらも「偽りの秩序」を壊す結末

 いずれの作品においても、自然だと思われていたもの(『ナウシカ』の場合は腐海と人類、『アナ雪2』の場合は王国の秩序)は人工的なものだったと判明する。そして二人ともそのような人工物、現在の(偽りの)秩序の基礎となっている人間の技術の産物を否定する。それが大きな災厄(ナウシカの場合は人類の滅亡、アナの場合は王国の破壊)をもたらすかもしれないと分かっていながら。

 2人にとっては、そのような犠牲よりも、偽りの秩序を取りのぞいた自然状態を取り戻すことの方が重要なのである。それが2人のエコロジー思想だ。

 大きな違いがあるとすれば、『アナ雪2』にはエルサがいることだ。アレンデール王国と自然、王国と先住民族との間に存在する解決不可能な対立を、アナはダムを破壊し、王国を破壊することで解決、というより徹底しようとする。だが、王国と先住民族のハイブリッドであると明らかになるエルサが、最終的にその対立をモラルの上でも、(洪水を魔法の力でせきとめることによって)物理的にも解消してみせる。

両作品に通じる、エコフェミニズムの系譜

 1980・90年代の作品と2019年の作品における同じモチーフの反復を見て感じるのは、「エコフェミニズム」の系譜の力強さである。エコフェミニズムというのは、具体的な運動としては、1970年代に反原発・反核運動が盛り上がった際にアメリカ、イギリスなどに広まったものである。理論的には、自然と女性が同じように「搾取」されており、解放されるべきだという思想を中心とする。

2019年にメキシコで行われたウィメンズ・マーチで掲げられた看板 ©Getty Images

 運動や理論としてのエコフェミニズムに限定せずとも、より広くポピュラーな想像力の中でフェミニズム的なものとエコロジー的なものが案外と強く結びついてきたことを、ナウシカからアナの系譜は教えてくれるようだ。『アナ雪2』の場合にはさらに、搾取されているのは自然だけではなく先住民族でもある。新たな「戦う姫」たるアナは、その両者を同時に「解放」する。ここで先住民族が入ってくるのが、いかにもアメリカのリベラルな意識を反映している。

 それで大いに結構、だろうか? 『アナ雪2』は女性や性的マイノリティ(エルサの同性愛者説、オーケンが同性愛者であることの明示)にくわえて、先住民族や自然の搾取によって現在の秩序が成り立っていることを告発する映画だ、ということで?