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真田井戸
明治以降に「真田神社の境内にあるこの井戸は砥石城など城北に建てた太郎山の砦に通じており、敵に包囲されてもこの抜け穴から兵糧を運び入れたり、城兵が自由に出入りしていた」という伝承ができた。これももちろん伝説の類で、明治に入って出版された本に、太郎山の麓の集落と太郎山中に作った山城の間に通路があったらしいと記載されていたことから、このような伝承が作り上げられた。
櫓台跡
真田信幸(信之)が松代に移封された後、寛永3年(1626)上田城主となった仙石忠政により、上田城の再建がスタート。本丸は櫓7棟、櫓門2棟が再建され、二の丸にも7棟の櫓や櫓門を再建しようとしたが、忠政の突然の病死により中断。以後、松平氏に城主が代わり、明治維新、廃藩置県を迎えるまで本格的な再建は行われなかった。今でも櫓台の跡を確認することができる。