文春オンライン

連載NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台 真田氏ゆかりの地をめぐる

第6回【上田城その2】上田市民から数百年にも渡って愛され続けてきた名城

『真田三代』 (火坂雅志 著)

2016/02/06

genre : エンタメ, 読書

note

真田井戸

真田神社の奥にある真田井戸

 明治以降に「真田神社の境内にあるこの井戸は砥石城など城北に建てた太郎山の砦に通じており、敵に包囲されてもこの抜け穴から兵糧を運び入れたり、城兵が自由に出入りしていた」という伝承ができた。これももちろん伝説の類で、明治に入って出版された本に、太郎山の麓の集落と太郎山中に作った山城の間に通路があったらしいと記載されていたことから、このような伝承が作り上げられた。

櫓台跡

ADVERTISEMENT

 真田信幸(信之)が松代に移封された後、寛永3年(1626)上田城主となった仙石忠政により、上田城の再建がスタート。本丸は櫓7棟、櫓門2棟が再建され、二の丸にも7棟の櫓や櫓門を再建しようとしたが、忠政の突然の病死により中断。以後、松平氏に城主が代わり、明治維新、廃藩置県を迎えるまで本格的な再建は行われなかった。今でも櫓台の跡を確認することができる。

この二の丸の櫓門の凹みは、櫓の梁を固定して渡すための凹みで、西虎口櫓門が存在していた証拠のひとつである
櫓門の柱の礎石の跡
真田氏時代のものと推定される石垣