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 そしてさらに、同じ形式の遊び歌として「いろはにこんぺいとう」というものがある。実はこれは、私の出身地である北海道では全く聞いたことがなかった。関東出身の人に教わって初めて知った。また、関西出身者は私同様に、「百貫デブ」「さよなら三角」は知っていても「いろはにこんぺいとう」は知らなかった。

いろはにこんぺいとう、こんぺいとうは甘い、甘いは砂糖、砂糖は白い、白いはうさぎ、うさぎは跳ねる、跳ねるは蛙、蛙はみどり、みどりは葉っぱ、葉っぱは揺れる、揺れるは地震、地震は怖い、怖いは幽霊、幽霊は消える、消えるは電気、電気は光る、光るは親父のはげ頭

 これもほんの一例で、ひょっとしたら「いろはにこんぺいとう」にも「すべるは親父のはげ頭」で終わるバージョンがあるのかもしれない。他にはこんなバージョンもある。

いろはにこんぺいとう、こんぺいとうは甘い、甘いはお砂糖、お砂糖は白い、白いはうさぎ、うさぎは跳ねる、跳ねるはノミ、ノミは赤い、赤いはほおずき、ほおずきは鳴る、鳴るはおなら、おならは臭い、臭いはうんこ、うんこは黄色い、黄色いはバナナ、バナナは高い、高いは十二階、十二階は恐い、恐いはお化け、お化けは消える、消えるは電気、電気は光る、光るは親父のはげ頭

 おならやうんこにどうしても目が行ってしまうが、いつの時代も子どもはそういうものが好きなのだという感慨以外にはさして重要な点はない。それより重要なのは、「ほおずきは鳴る」「バナナは高い」といったくだり。私の世代ではバナナは安い果物だし(バナナが安価になったのは1963年に輸入自由化されてから)、ほおずきを鳴らして遊んだ経験はない。なんとも時代を感じさせる連想であり、この歌詞が成立したのはそうとう古いことがわかる。唐突に登場する「十二階」も、浅草のランドマークだった「浅草十二階」こと凌雲閣を指すものと思われる。イギリス人ウィリアム・K・バルトンの設計で1890年(明治23年)に完成した凌雲閣は、1923年(大正12年)の関東大震災で半壊し同年には解体されているので、この歌詞が成立したのは1923年以前ということになる。

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 私にとって馴染みがあったバージョンは圧倒的に「百貫デブ」で、周囲の友達などが歌っていて自然に覚えた。「さよなら三角」はテレビか漫画か何らかのメディアを介して知ったもので、「いろはにこんぺいとう」は見たことも聞いたこともなかった。この感覚も地域差があるのだろう。「百貫デブ」が普及していない地域もあるのかもしれない。

 そして私は、やんちゃ坊主たちが歌う「百貫デーブー♪」をすみっこで聞きながら、「この連想、どう考えても変だよな」と感じていた。だって煎餅は甘いどころかむしろしょっぱいし、廊下はそんなにすべらない。ぺっしゃんこなものの代表例が煎餅で、長いものの代表例が廊下というのも妙だ。平成育ちの子どもには違和感しかない。「親父のはげ頭」に持っていくためのものとはいえ、もっと自然な流れはいくらでもあるだろう。こいつらはそういうことに疑問を持っていないのか。ちゃんと考えて歌っているのか? そんなことを考えていた。

 なので一人ひそかに、「自然な流れの百貫デブ」を考えることに時間を費やしていた。


★次回、山田少年の考えた「自然な流れの百貫デブ」とは?