――『熱源』は樺太アイヌの男性と、樺太に流刑になったポーランド人という、大きな文明に自分たちの文化を奪われる立場にいた実在の二人の人物の人生が主軸として描かれます。この題材を書こうと思ったきっかけは。
川越 小説を書きはじめるよりずっと前に、妻と北海道旅行をして白老のアイヌ民族博物館に行ったんです。そこにブロニスワフ・ピウスツキの銅像があるのを見て、なんでここにポーランド人の銅像があるんだろうと思って。調べてみて樺太に島流しにあい、アイヌたちと交流があったと知りました。
一方、彼と交流のあったアイヌのヤヨマネクフはのちに南極探検隊に参加している。ピウスツキは東西、ヤヨマネクフは南北に移動していると考えたら、縦と横が繋がって壮大なストーリーが立ち上がってきて、そういう作品を見たいなと当時から思っていました。
――『天地に燦たり』も『熱源』も大きな題材ですよね。いきなり書けたんですか。
川越 いくつかイメージしているシーンはあったので、そのあたりはわーっと書けたんですけれど、それを繋いでいくところがなかなか難しかったです。はじめて書いた時はキャラクターも動かせていなかったですし。小説的な作法もめちゃくちゃでした。この前当時の原稿をちらっと見たんですけれど、今よりはるかにあかんというか。30秒くらいしか読めなかったです。
時代を作った側より、巻き込まれる側に興味がある
――アイヌは日本の同化政策によって苦難を強いられた人たちで、今でもいろいろな問題が残るデリケートなテーマともいえます。書くのに躊躇はありませんでしたか。
川越 それは最初から最後までありました。あったんですけれど、そこを乗り越えていかないと、たぶん作家として前に進めないと思ったんです。当たり障りのないことしか書けないのではいかん、という。あとはたとえ失敗のお叱りを受けたとしても、一度このテーマを書いてみたいとずっと思っていたので。目をつぶってアクセルだけ踏んでいるみたいな時もありながら書き進めました。
――歴史や時代を作った人というより、そこに巻き込まれる側の人の話ですね。そういう人たちに興味があるのですか。
川越 そうですね。時代を作ることができなくて、参加することしかできなかったけれど、ただ唯々諾々と参加しただけではなくて、その中で自分の人生を選択していく人たちを書きたいと思っていました。ピウスツキとヤヨマネクフも、まさにそういう人たちでした。
――史実や実在の人物を物語化していくのはどんな作業なんですか。
川越 最初に年表やまとめノートを作って、事実関係を整理して把握し、ある程度感覚的に理解できるような感じにはもっていきました。そうしているうちにだんだんキャラクターについても造形ができてきて、焦点が合っていく感じです。史実の中でここのポイントは外そうとか、ここは虚構を入れなあかんみたいなポイントとかも出てきたりするので。そういうことを考えながら、キャラクターが煮詰まっていく感じでした。
――事実を並べるだけならノンフィクションでいいわけで、物語にする場合、そこに著者の創作や解釈が加わりますが、虚実のバランスをとるのが難しいはず。あえて物語にする意味をどう感じますか。
川越 バランスは考えながら書きます。そのバランスが固まったのが、『熱源』を書きながらでした。今回は前作よりもバランスをとるのがしんどかったし、「ここは事実と違う」みたいな指摘を受けることを最初は恐れていましたが、今となってはもう後悔がないというか。嘘をついてでも言いたいこと、考えていることが自分の中にある。そこに踏み込まないと、やっぱり、小説にする意味がないと思うんです。
なんでわざわざ物語にするのかというのはやっぱり、自分で書きたい世界、見せたい世界、考えたいことがあるからなので、そこに対して批判を恐れて筆が鈍るようなことがあってはあかんな、という覚悟ができたのが『熱源』です。