年間売上はおよそ20兆円。2020年現在も娯楽産業の頂点に君臨しているパチンコ産業だが、その実態はホール数・売り上げともに減少の一途をたどっており、閑古鳥が鳴くホールも少なくない。
そんな娯楽産業の哀しき王様に、「そもそもパチンコとは何なのか?」という根源的な問いを投げかけ、メーカー、ホール、ファン、警察、さらにはカジノに依存症まで、業界を取り巻くありとあらゆる問題に斬り込んだ。
パチンコを愛し、半生を捧げてきた著者が業界に正面から向き合い、愛し、苦悶する。その末に行き着いた境地から見たパチンコの真実の姿とは、一体どんなものだったのか。『パチンコ滅亡論』(扶桑社)から一部を抜粋し、転載する。
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業界の巨大化とインターネットによって問題が表面化
大崎 世間からの見られ方って話をするとね。パチンコ屋って昔は八百屋の隣で、同じような間口でやっているようなものというのがスタートだったから、市民生活から浮かずにうまく馴染んでた。それがバンバン儲かって、どんどん大きくなっていったところで、反発っていうものが徐々に生まれてきたんだろうなと思うわけ。
ヤング あと、やっぱりろくでもないごくつぶしが入り浸ってるのは決まってパチンコ屋っていうね。一般社会からちょっとはみ出してしまった人たちの居場所。いいものではない、だからといってそれに目くじら立てることもなくって感じだよね。昔はしょうがねえなと思われながらも社会には受け入れられてたと思うんだけど、世の中の移り変わり……はっきり言っちゃえばネットによってってことなんだけども、全く関係ない人たちから「亡国遊技だ!」みたいに言われるケースが増えてきたよね。
大崎 昔はやっぱり射幸性が低かったからね。ハネモノで3000発定量(*16)でやってた時代は何十万円も負けられないから。だからごくつぶしが入り浸ったところで、強盗してパチンコ代を、みたいなことはなかった。そういう事件が目立つようになったのは、やっぱり連チャン機が隆盛を極め始めた頃から。つまり極端な射幸性で客を釣るっていうことをやり始めてから。フィーバー機(*17)の登場っていうのは相当パチンコを変えたからね。
*16 ハネモノで3000発定量
今では等価(高換金率)無制限が基本だが、昔のパチンコ屋は2・5円交換の定量制という営業スタイルがベースだった。払い出し出玉が一定に達すると玉が出てこなくなり、そこで打ち止めとなるのが定量制。打ち止めになった台は店が開放した場合、その後からは再度現金投資が必要になるので、店側も出す調整が可能だった
*17 フィーバー機
80年にSANKYOが開発したフィーバー(FEVER)は図柄が揃うと大当りとなり中央下部の大きな入賞口が一定時間開放され続けるシステムを搭載したデジパチの元祖。フィーバーというのは機種名であるが、ツナ缶をシーチキンと呼んだり、温水洗浄便座をウォシュレットと呼んだり、食品用ラップをサランラップと呼ぶように、同様のシステムを搭載した機種をフィーバー機と呼ぶこともあった
ヤング その次がCR機(*18)で。
*18 CR機
プリペイドカード対応のパチンコ台。業界側はCR機の導入に消極的だったが、ダービー物語事件によって現金機の連チャンが厳しく制限される一方で、CR機には確率変動という合法的な連チャンが認められたため、それを機にCR機が爆発的に普及していったという経緯がある
大崎 数字が揃ったらドカンと玉が出るフィーバー機はまさに革命だったわけだから。昭和55年だから我々もリアルタイムじゃないんだけど、玉がバケツに何杯も出て、泡吹いて死んだじいさん(*19)がいた……みたいな。
*19 泡吹いて死んだじいさん
フィーバー機で一般客がどれだけ熱狂していたかを物語るエピソードだが、その真偽は誰もわからない都市伝説のような話。一度当たったら店側が打ち止めにしない限り出玉が出続けるため、大当りで興奮して病院に運ばれる人は……いてもおかしくなかったでしょうな
ヤング インベーダーゲームで瀕死の業界(*20)が一気にV字回復。
*20 インベーダーゲームで瀕死の業界
78年にパチンコ業界では貸玉料金の上限が3円から4円に変更されたが、同じ年に日本アーケードゲーム史上最大のヒット機種となるスペースインベーダーが登場。大人から子供までがインベーダーに夢中になるほど大きな社会現象となり、パチンコ屋はバタバタと潰れていった。そんな状況を救ったのがフィーバーだった
大崎 テキトーに暇つぶしでやってた遊びが、そこから立派な賭博になって。しかも5000円、1万円じゃなくてヘタしたら何十万円も儲かるかも!?ってものに変わっちゃって。そしたら当然、通い詰めてゼニゼニ言ってるヤツらは眉をひそめられるわけで。必然的にそんなあくどい商売で儲けてるパチンコ屋もろくでもないという風潮になってくる。