それ以前、中国国内の報道はゼロではなかったが、報道統制によりかなり小さな扱いだった。医療関係者たちが現場レベルでは認識していたヒト・ヒト感染の発生も隠蔽されていた。ゆえに大部分の中国人は新型肺炎に注意を払わず、リスクにも鈍感だった。
これは17年前にSARSが流行したとき、公的なアナウンスがごく少ない時点から、庶民層でも口コミで危うさがジワジワ語られていたのとは大きな違いだ。「酢に予防効果がある」と謎の対策が噂されて商店の酢が品切れになったり、それなのに多くの人が公衆衛生にあまり気を使わなかったりと、突っ込みどころは多かったとはいえ、さておき中国人の危機意識自体は高かった。
SARS当時の中国はよくも悪くも発展途上国で、政府や社会に対する庶民の信頼度がかなり低かった時代だ。新聞記事を含めたあらゆる公的情報は信用されておらず、国家権力が真相の隠蔽や捏造をおこなうのは常識以前の話。大事な話は口コミで共有された。これはデマが生じやすい社会環境だったのだが、反面で当時の中国人は、情報面では当局にコントロールされにくかったともいえる。
いっぽう、今回は公的なアナウンスが出るまで、中国の庶民の反応はかなりのんきに見えた。理由のひとつは、現代の中国人が往年と比べて、報道や政府発表を信じやすい傾向が圧倒的に強まっていたからだろう。
自称「情強」になった中国人
近年、中国ではスマホの普及によって、従来はしっかり新聞を読まなかった層の庶民まで気軽にニュースに触れるようになった。彼らがなんとなくダウンロードしたニュースアプリの今日頭条や新浪新聞、チャットアプリの微信(WeChat)、ショート動画アプリの抖音(海外市場では「TikTok」)などを通じて、大量の情報が流れ込んでくるようになったからだ。
本来、中国の国内報道は2003~2013年の胡錦濤時代にかなりの自由度があり、対して習近平時代には大幅に制限された。だが庶民レベルの主観では、スマホ時代の習近平時代のほうが、自分たちが「情強」(情報強者)になったと考えられている。
理由は彼らが触れるニュースの分量が往年の数十倍以上に増加したからだ。しかも新聞と違い、アプリを通じて配信されるネット記事は圧倒的に読みやすく、娯楽性も高くて頭に入りやすい。
結果、統制下にある膨大なニュースを通じて当局的な価値観が庶民の頭に無意識に刷り込まれ、報道を信頼する人がぐっと増えた。いわば官製のエコーチェンバーが起こされていたと言ってもいい。
習近平の「中国の夢」に染まる人民
また、中国経済の発展や中国人の海外旅行の拡大、スマホ普及と軌を一にした国内社会のスマート化などによって、「貧しい祖国を強くて豊かにした中国共産党」という当局のプロパガンダを、中国人自身がある程度は事実だと実感してしまったことも大きい。