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2019年M-1・全員インタビュー なぜ“神回”になったか

すゑひろがりずが振り返るM-1「かまいたちさん、和牛さんの後は僕らに行かせてと思えたワケ」

すゑひろがりずが振り返るM-1「かまいたちさん、和牛さんの後は僕らに行かせてと思えたワケ」

漫才師・すゑひろがりずインタビュー#1

2020/02/16
note

「それ、中尊寺」でイケると思った

――あの登場場面で自分たちを見失ってしまうという話を、よく聞きますもんね。

南條 舞台裏はとても暗くて、舞台に出る瞬間にパッと目の前が明るくなるんです。スタジオのセットが金色なので、むちゃくちゃ明るく見えるんです。暗闇から光の中へブワーッと出る感じで。確かに、あそこでリズムが狂っちゃう人はいるでしょうね。

――そこへ行くと、お2人は、実に堂々たるネタ披露でした。「すゑひろがりずと申します」という最初の自己紹介から、とてもよく声が出ていたように思います。

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三島 一発目、いい声が出て、最初のつかみで「合コン……豪華なる金色堂の略」「それ、中尊寺」というところがあるんですけど、そこの返り(笑い)が割とあったんで、僕はそこから一気に自分の領域に飛び込めた感じがしましたね。

南條 確かにネタの出来は一番よかったと思いますわ。

 

――ただ、一度、南條さんは、小鼓を叩き損ねたんですよね。

南條 はい、紐が革の前に垂れていて、一緒に叩いてしまったんです。そうしたら、変な音になってしまって……。

――あれは、やっぱり調子が狂うものですか。

南條 むちゃくちゃ狂います。いちばん大事なところで“ツッコミ噛む”ぐらいの感覚ですよ。うまく鳴らないと、お客さん、ほんまに笑わないですから。あの時も変な空気になって焦りましたね。ただ、そのあとはネタに集中できたので、そこまでの大怪我にはなりませんでしたけど。

「みなさま、よいお年を!ポンっ!」

――結果3位になって最終決戦のための「暫定ボックス」に席を確保したわけですが、直後、からし蓮根に抜かれてしまいました。スタジオを去る時の「みなさま、よいお年を! ポンっ!(小鼓の音)」が素敵でしたね。

 

南條 あっこだけは、5日前ぐらいから考えてたもんな。

三島 負けたとき、なんて言おうかって。

――一昨年のように大会が12月頭だとちょっと早過ぎますけど、22日と年末の空気感になっていたので見事にはまりましたね。

南條 そうそう。ちょい早ぐらいで、今田さんに「いやちょっと早いです、締めるのが(笑)」と突っ込まれて。ネタだけでなく、今田さんや審査員との絡みも込みで見られてる感じがしたんで、そこがすごい不安やったんですけど、うまいこと切り抜けられましたね。

【続き】M-1神回の舞台裏 すゑひろがりずが目撃 「ミルクボーイは待ち時間もずっと練習してた」へ)

写真=山元茂樹/文藝春秋

すゑひろがりず/三島達也(ボケ・扇子担当)と南條庄助(ツッコミ・小鼓担当)のコンビ。三島は1982年10月2日大阪府出身。南條は1982年6月3日大阪府出身。大阪NSC28期の同期生。

別々のコンビを経て2011年に結成。14年、東京に活動拠点を移す。14、15年にキングオブコントで準決勝進出。コンビ名は当初「みなみのしま」だったが、芸風に合っていなかったため、16年に和風でめでたい意味を込めた「すゑひろがりず」に改名。16年、18年にM-1準々決勝進出。19年初のM-1決勝で8位に。

すゑひろがりずが振り返るM-1「かまいたちさん、和牛さんの後は僕らに行かせてと思えたワケ」

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