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「三勇士の戦死の原因は導火索の長短ではない」

 この点については、「事件」から4カ月後の1932年6月、小野一麻呂という工兵少佐が「爆弾三勇士の真相と其観察」という本を自費出版。工兵技術の専門的視点から「点火用導火索は短きに過ぎはしなかったかとの疑いを持たれる人もあるようであるが、現に三勇士と同一行動をした他の一組は何ら損害をこうむらないで成功したのから見てみれば、その長さも適当であったと判定して良いと思う」と結論づけている。

「(導火索は)1秒間約1センチの速さで燃焼する。当時これが長さは30センチメートルで」「点火より爆発までは30秒間」「この時間内には、拠点を出て鉄条網に至り、破壊筒を突っ込んで後退するの時間は充分あるのだ」。

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 小野少佐は「三勇士の戦死の原因は導火索の長短ではないので、北川一等兵の負傷して一時倒れたことと、三勇士の任務遂行の熱誠から最後まで爆薬を抱えていたことからであって、これが真相なのである」と述べている。

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「自ら死を志願」に熱狂していた国民

 4月1日付東朝朝刊には、陸軍教育総監部の井上(乙彦)工兵大佐が久留米で3人の直属上官の班長・内田伍長から当時の状況を詳細に聴取し、陸軍総監に報告した内容が記されている。

 それによると、「内田伍長はいよいよ決心をして強行破壊を敢行することとし、導火索30センチを破壊筒につけ、点火して」「点火直前さらに3センチだけ短く切って」強行破壊を命じた。3人は駆け出したが、「敵前に至り、北川一等兵は小銃弾のため傷ついてバッタリ中途で倒れ、続く二勇士もそれにつまづいて倒れてしまった」。「この時3人ながらムックリ起き上がって必死の悲壮な覚悟で、まさに爆破の直前にある破壊筒を抱き直して鉄条網に突っ込んだ」。

 この証言が参謀本部の「正史」にも取り入れられたと考えられる。いずれにしろ、既に「自ら死を志願」して突撃したという「三勇士神話」に熱狂していた国民には、そうした詮索は意味がなかったのだろう。