「上官を侮辱するようなところがあるのですか」
「へえ、すっかり恐れ入っちまいましたよ。私は人を通じて聞きましたね。一体どこが悪いのですかと。上官を侮辱するようなところがあるのですかといろいろ聞いた挙げ句が、上官が『元へ、元へー』と言うのがいけないと言うんでさあ。おかしな話ですが、西洋の軍隊にはおなじみの少ない私、西洋の兵隊のお話はできないから、そのうち一工夫いたしやしょう。問題になったのはこの1月、在郷軍人の方の前でしゃべったことからでしょうが、へえ、全く弱っちまいましたよ」。「睨まれた金語楼クン」の説明が付いた顔写真も載っている。
さらに、合同蓄音器の営業課長の談話として「私の方をはじめ、同じものを吹き込んだ2、3の会社でも同様な運命に遭ったのです。最近は渋谷憲兵隊から没収はしないというお話はありましたが、さて、売っていいものかどうか……。都合によると、内容を多少変えて吹き込み直そうかとも考えています」とある。「とにかく金語楼がやりだしてから2年もたっていまさらいけないとは、どう考えても変です。何しろ問題が落語なんですからね。私の方はともかく、今まで売り込んだ金語楼としては生活問題でしょう」とも。
どうも、金語楼の兵隊落語に「待った」がかかったいきさつがよく分からない。いずれにしろ、「けしからん」という受け止め方が憲兵隊の一部にあったことは間違いないようだ。
「兵隊落語」とはどんなものだったのか
問題とされた兵隊落語とはどんなものか。いろいろな演目とバリエーションがあったようだが、当時は活字化した落語が総合雑誌や女性誌、少年雑誌などに掲載され、なかでも金語楼のものが圧倒的に多かった。それらと、国会図書館にある録音資料からすると、「兵隊」「兵隊さん」「噺家の兵隊」「後備兵」から「水兵」もあり、さらに「靴磨き」「兵営編」「除隊の巻」などにも分かれている。金語楼は自身、生涯で600以上の新作落語を作ったとされるが、同じ話は一度もしたことがなかったといわれ、演じるごとに内容を組み替えていたようだ。そのうちの一例を見よう。
講談社の雑誌「雄弁」1927年9月号に掲載された「新作落語『兵隊』」は、新兵(満20歳で徴兵検査を受けた後、初めて軍隊に入った二等兵)が靴磨きをしながら、軍隊を茶化した歌を歌っていると、上官が通りかかる。後に「靴磨き」と呼ばれる兵隊落語だ。上官はこの場合は伍長で、上等兵や少尉に替わっていることもあるが、基本的なやりとりは変わらない。
新兵 「伍長勤務は生意気で――、粋な上等兵にゃ金がない――かわいい新兵さんにゃ暇がない。ナッチョラン、ナッチョラン」
伍長 オイ! コラッ