「憲兵隊の本部から『兵隊ものを遠慮してもらいたい』」

 そんなさなかに憲兵隊から「イチャモン」がついた。金語楼はいろいろなところでそのことを書いている。「泣き笑い五十年」にはこうある。

「ある時、憲兵隊の本部から『兵隊ものを遠慮してもらいたい』と言ってきたことがあります」「それから私は警視庁に行きまして『遠慮してくれってのは、やっちゃいけないってことですか』と聞きました。そしたら、『いや、寄席のなんとか法で、憲兵隊が演芸を差し止める権限はないはずだ。検閲というものが警視庁の管轄下にあって、それをやっているんだからいいはずだ』『……もし、やっていけないって言ったら、どうしたらよいでしょう?』『いけなくないようにしてやろうじゃないか……』」

 ここで金語楼は「ちょうど、大阪で“ゴー・ストップ事件”なんてえのがあったころで、憲兵と警視庁てえのは仲が悪かったらしいんですな」と書いている。陸軍一等兵が赤信号の交差点を横断しようとして、交通整理の巡査に制止され、口論のすえに格闘したという陸軍と警察が対立した事件だが、起きたのは5年後の1933年6月。ただ、両者の関係はそれ以前から悪かった。

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陸軍と警察が対立した「ゴー・ストップ事件」とは

 金語楼の記事が出た翌日の3月3日付東京日日夕刊は1面トップで「憲兵隊長の大喝 警視庁を怒らす 直訴犯人奪い合いから またも歯をむいて啀(いが)み合う」という記事を載せている。1月の観兵式での直訴容疑者の取り合いから、憲兵隊長が警視庁特高課長らを怒鳴りつけ、対立が激化。それまで要視察人の情報などで憲兵隊に協力していた警視庁は、各警察署の幹部を呼んで、「今後、憲兵隊に対しては一切便宜を与える必要なき旨通達した」。そのため、「手も足も出ず、憲兵隊はいまさらのごとく狼狽している」とある。

 見出しにも「これまでも犬猿の間柄」とあり、記事でも「警視庁と憲兵隊が犯人捜査や功名争いで犬猿の間柄にあることはよほど以前からの問題であるが」と書いている。こうした憲兵=陸軍と警察が対立する空気が爆発したのがゴー・ストップ事件だった。

#2へ続く