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連載昭和事件史

大爆笑でも「けしからん!」 憲兵隊を怒らせた“兵隊落語”とはなんだったのか

なぜ人々は「いびつな笑い」を求めたのか #1

2020/03/08

軍隊での経験談を人情噺へ

 柏木新「金語楼の兵隊落語の変遷」(「季論21 2008年秋号」収録)によれば、兵隊落語の初高座は1922年、東京・本郷の「若竹亭」だったという。「二等卒帰る」という題で、羅南を出発して家へ帰ってきたところまでを演じた。

「可笑(おか)しくも面白くも無い」ものだったが、実際の軍隊に行った経験談が人情噺(ばなし)となり、客は「涙をふいている人も有るし、前の方の老人なぞは鼻をすすってる人も有った」。最初のころは「官姓名を名乗れ」「忘れました」がオチだったようだ。そこから「さらに面白いものにと努力し、兵隊落語を仕上げていくことになる」(同論文)。

1940年、舞台の「兵隊劇」に出演した時の柳家金語楼(「金語楼名作劇場上巻」より)

「お客はクスクスと言っただけで」兵隊落語が受け入れられたとき

  再び「泣き笑い五十年」に従おう。

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 そのうち、また若竹亭に出た。前の出番の講談師が休みで、後の出番の落語家が「どこかお座敷がかかったらしく、例によって姿を見せていない」。早く高座へ上がったが、その落語家が来ないために下りられなくなってしまった。オチまで来たが「お客はクスクスと言っただけで」「しょうがないからとっさに続けましたな。『自分の名前を忘れるやつがあるか。おまえは何というんだッ』『ハッ、山下敬太郎であります』『よし、それをやれ』『ハッ、りくりく……』『りくりくではない。陸軍だッ』『陸軍ほー兵』『砲兵ではないッ、歩兵だッ』『ハッ、二等卒山下ケッタロ―』」

「このころになるてえと、客はだんだん笑うようになりましたが、こっちは悲しくなって『もとーい、陸軍二等卒山下ケッタロ―』。クシュンと泣きべそをかいちゃった。そしたら、これがえらく受けるんですよね」。

 楽屋を見たら、後の出番の落語家が来ている。「途端に調子づいて『もとーい、かいぐーん』『海軍ではない。陸軍だッ』と、ここまで来たら、もうお客がウワーッてんで……。これが兵隊落語の受け始めなんですな」「それからというものは、私の兵隊落語てえものも形が出来、だんだん枝葉が生えてきて、波に乗ったというか、ハズミに乗ったというか、大変受けるようになりましたな」。レコードに吹き込んだら「これがヘンテコに売れたらしいんですな」。舞台の「兵隊劇」にもなり、金語楼のトレードマークになる。人気爆発の瞬間だった。