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「世の中をよくしたいわけじゃなかった」気鋭のAI研究者が語る“ドラえもん開発”の夢

『ドラえもんを本気でつくる』より #1

2020/03/21
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つくりたいのはドラえもんそのものであり、そのすべて

『ドラえもん学』(横山泰行著、PHP新書)という本がありますが、そのなかでは、「ドラえもん」の主人公はのび太と書かれています。実際にコミックのなかでは、登場しているコマ数も発言回数も圧倒的に多いのは、のび太です。そののび太に、いつもドラえもんはとことん向き合ってくれます。

 私がつくりたいのはドラえもんそのものであり、そのすべてです。しかしながら、同時にすべてには着手できないなかで、現在、自分が大切に思っている側面から順に取り組んでいます。

 まさに、目の前にいる1人ひとりに、とことん向き合うロボットを実現することです。

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 そんなロボットをみんなの手に届けることができれば、ドラえもんをつくることはただの自己満足ではなく、多くの人の幸せにつながるのではないかと思っています。

 私がいつからドラえもんをつくりたいと思っていたのかについては、「はじめに」でも書きましたが、正直なところ、まったく覚えていません。気づいたときには、ドラえもんのことを大好きになっていて、ドラえもんをつくりたいと思っていました。少なくとも、20年以上はドラえもんをつくるために生きています。

ドラえもんが大好きだった幼少期

©iStock.com

 私は、小さいころに自分がドラえもんが大好きだったことを忘れてしまっていたのですが、あるメディアからインタビューを受けたとき、母に、「ぼく、子供のころからドラえもんが好きだった?」と聞いてみたところ、「何言ってるの。大好きだったじゃない」と一蹴されました。

 聞けば、小学生のときに家族で旅行した折、宴会場にいるみんなの前でドラえもんの歌を歌ったそうで、それが私の人生初カラオケだったといいます。

 両親以外にも、私の幼少期を知る方に話をうかがってみると、「自分がドラえもんをいかに好きだったか」という証拠がどんどん出てきました。たとえば、小学二年生からお世話になっているピアノの先生がいて、いまだに交流がありますが、じつは、私は小さいころ、この先生のすすめで子役の声優の仕事をしていたのです。きっかけは、ドラえもんの歌を歌ったテープをつくったことだったそうです。

 覚えているのは、子供のときに「ドラえもんをつくりたい」と言って、大人から笑われたことです。かなり傷つきました。それが悔しくて、夢を口にすることも、ドラえもんを見ることすらもだんだんと嫌になっていき、避けるようになっていったのです。

 当時は、笑われても見返すだけの術をもっておらず、言い返せないから、ふてくされるしかなくて、いじけていました。その結果、ドラえもんが好きだった事実すら忘れてしまっていたのです。

 でもいまは、ドラえもんを実現しうる道を、みずから切り開く自信があります。人工知能(AI)や神経科学、認知科学を勉強して、そのための知識や技術を身につけました。信頼できる仲間もたくさんいます。