教祖によると「小麦、ライ麦、砂糖は健康を害する」
ジャガイモは想像に違わぬ味で、ほくほくと素朴な甘さが美味かった。どの料理の味も邪魔しない優等生である。レンガのような黒パンは、はと麦とオートミールで手作りしたものだという。
教祖の教えによれば、小麦、ライ麦、砂糖は健康を害するとのことらしく、ニコライ家ではこれらのものを摂ることはない。小麦の代わりになる穀物はいくらでもあるし、砂糖の代わりは蜂蜜がいい。
僕が黒パンをボルシチに浸して齧り付いている横で、ニコライは黒パンに何やらどす黒い繊維質の漬物を乗せて食べている。
それは何かと聞けば、ギョウジャニンニクの塩漬けだと言う。
「山の方に行けばたくさん生えています。野生のニンニクみたいなもので、これを食べていれば病気になんてなりっこない。それに、刻んで塩漬けにしておけば長いこと腐らないから一年中食べられます」
ギョウジャニンニクはユリ科ネギ属の山菜で、日本では北海道で採れるものが知られている。北海道もシベリアも、澄み渡る水や空気に寒冷な気候、豊穣な大地は共通している。ここにないのは鮭やカニなど海の幸と、ジンギスカンにサッポロビールくらいなものだろうか。
ニコライを真似て黒パンにギョウジャニンニクの塩漬けを乗せて食べてみた。
強烈な香りが鼻を通って目に滲みる。火を通していないから、素材が持つ成分が存分にそのパワーを残している。生のニンニクを齧った時より激しい刺激で目鼻がやられてしまった。
一言も喋らず目の前の物を食い尽くした息子はそそくさと2階へ上がっていった。
この地に移り住んで20年
夫婦がこの地に移り住んだのは20年前だったという。最初の4年間はペトロパブロフカに暮らしながら、太陽の街で自分たちが住む家の建設を始めた。友人に手伝ってもらい、4年目にしてこの立派な家が完成。以来16年間この街に暮らしている。
ニコライの仕事は教団のトラック運転手で、給料はもらっていない。ペトロパブロフカで暮らしていた時は大工の出稼ぎに出ることもあったが、最近はやっていないという。「生活するのにほとんどお金は必要ありません。ここに来る前からの貯蓄をたまに使うだけで十分です」と彼は言った。
ニコライはカザフスタン出身のロシア人で、妻のマリーナはロシア連邦モルドヴィア共和国の出身だ。モルドバ共和国と名前がそっくりだが縁もゆかりもない国である。
ふたりが初めて出会ったのは1982年。ニコライが兵役を終えた頃、馴染みの空手道場にマリーナが遊びに訪れたのだった。