丁稚制度が崩壊していく前触れであった
「小僧」は文化や流行の担い手でもあった。
例えば、昭和初年、日本一の盛り場だった東京・浅草の映画や舞台。「銀座、新宿の客と異なり、ここ(浅草)に集まる者にはセーラアパンツのモボ、フラツパーのモガ姿はあまり見られず、その代わりにハンチングの学生、前垂れの小僧さん、店員、職人、下町商人の娘さんといったところが半数以上を占めている」と1929年に出版された今和次郎編纂「新版大東京案内」は書いている。
しかし、そうした時代も、このストライキあたりを境に変わっていく。それ以前の明治末期から、大企業では会社の組織や規模が大きくなって管理者や専門家の必要性が増大。大学卒業者の採用が始まっており、それが徐々に規模の小さい会社にも広がりつつあった。
「この小僧さんストは明治、大正を通じて残存していた封建的雇用形態――丁稚制度が崩壊していく前触れであった」「こうしたシステムは昭和初期からおいおい崩壊期に入り、戦時色が濃くなって軍需景気が高まり、青少年が軍需産業に吸収されるにつれて、みるみる消滅をしていくのである」(「素顔の昭和戦前」)。
ストライキ劇は「小僧の挽歌」だったのかもしれない。
【参考文献】
▽「新明解国語辞典第6版」 三省堂 2005年
▽小林勇「惜櫟荘主人 一つの岩波茂雄伝」 岩波書店 1963年
▽安倍能成「岩波茂雄伝」 岩波書店 1957年
▽紅野謙介「物語岩波書店百年史」 岩波書店 2013年
▽村上一郎「岩波茂雄と出版文化」 講談社学術文庫 2013年
▽戸川猪左武「素顔の昭和戦前」 角川文庫 1981年
▽竹内洋「立身出世主義」 NHKライブラリー 1997年
▽青野豊作「『三越小僧読本』の知恵」 講談社 1988年
▽今和次郎編纂「新版大東京案内」 中央公論社 1929年