新型コロナが皇室のあり方を変えた
ところが、新型コロナウイルスの状況が、こうした皇室のあり方を変えたようにも思われる。天皇皇后が外へ出て人と会えば、感染の可能性もある。また、彼らが外へ出ればそこに人が集まり、感染拡大の危険性も増大する。そうすると、これまでのように人と会って様々な影響を与え、それを報道によって人々に知らせていた「平成流」のあり方は、変更を迫られざるを得なくなってくる。天皇皇后は表へ出なくなり、そして報道されなくなる。そうすると、人々の関心が次第に薄れてくる。そうした状況に今、なっているのではないか。
立皇嗣の礼の延期、園遊会の中止などが報道されるものの、それは感染拡大を防止するための自粛の一環であり、被災地のことを配慮して祝賀御列の儀が延期されたこととは、おそらく同列には思われないだろう。その意味では、積極的な延期や中止の判断だとは人々には受け止められないように思われる。新型コロナウイルスに関する報道が数多く出ている状況の現在、皇室に関する報道はどんどん減少しており、人々は皇室への関心よりも日々のニュースに興味関心を寄せているのではないか。
「ある種の『ご祝儀』の時期が終わった時」
私は昨年6月の「新天皇と雅子さまに『どのような感じをもっていますか』――日本人が皇室に抱く“好感”と“無感情”のサイクルとは」という記事のなかで、以下のように記した。
《現在、令和の天皇・皇后と人々の関係は「蜜月状態」のようにも見える。しかしそれは、「自粛」からの影響という違いはありつつも、平成の初期のころと相似する部分も多い。つまり、ある種の「ご祝儀」の時期が終わった時、人々は平成の時のように「無感情」になる可能性もある。その時こそ、令和の天皇・皇后の本領が発揮されるのかもしれない。》
この時、人々の関心が変化するきっかけが、このような緊急事態だとは私はまったく想定していなかった。時間をかけてだんだんと関心が薄らいでいくと考えていたのである。