名古屋市、栄。
飲食店の入った大きなビルをエレベータで8階まで上がると、扉の先にはとくさしけんごの極上サウナ音楽「MUSIC FOR SAUNA」が流れ、ほのかにアロマの香りが広がる。ロビーに入ると世界各国のサウナ関連本が並べられ、フィンランドの地ビールやスープ、ソーセージなども楽しむことができる。さらに奥に進むと、大きな空間におとぎ話に登場するような可愛い木のお家が点在し、そのすべてがサウナになっている。クリエイティビティそしてホスピタリティを併せ持つ唯一無二のサウナ――。それが「SaunaLab」だ。
この「SaunaLab」を創ったのが米田行孝。通称・サウナ界のゴッドファーザーと呼ばれる男だ。
サウナ・カプセルホテルチェーンのウェルビーをはじめ、SAUNA FES JAPANなどのイベントを行うなど、常に革新的なサウナとは何かを追い求める傍ら、サウナ・スパ協会の理事としても常に業界をけん引してきた。また従兄弟の米田篤史は神戸サウナ&スパの社長を務めるなど、サウナ業界きってのサラブレッドでもある。そんな華麗なるサウナ一族に生まれ育った米田の人生もまた波乱万蒸なものだった。
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祖父は戦後日本の“サウナの父”
「とにかく徹底的なビジネスマンだったんです、うちのおじいちゃんは。サウナ事業を始めた理由は“儲かるから”に尽きると思います」
戦後、大阪でガスの配管工事の仕事をしていたという米田の祖父は「戦後復興が進めば、日本人はレジャーにお金を使うようになる」と、神戸に土地を買ってサウナ事業を始めた。その見立ては見事に的中し、神戸サウナは大ヒットする。
一代でサウナ事業を軌道に乗せ、大成功した祖父。とにかく行動力があって、豪快だった。そんな祖父には、サウナ通の中でも都市伝説のように語られている“ある噂”がある。
「おじいちゃんは庭でゾウを飼ってました、人間ぐらいの大きさの小象を。とにかく動物好きで色んな動物を飼っていて。他にもライオンやトラの子供もいましたね。そうそう、一度北海道旅行でクマ牧場を訪れた時に『あのクマ、飼うぞ』って言い出して、さすがに家族全員で止めたことがありました」
昭和の大物実業家らしいエピソードだが、米田の祖父はこの動物にも“事業の種”を見出していたという。
「有馬とか淡路島に土地を買って、そこで動物たちを放し飼いにして世話していた時期があったんです。今考えると、サファリパークみたいなものを作ろうとしていたのかなって」
ボンクラ音楽青年、しぶしぶサウナ経営の道へ
独創的で革新的なサウナを作り出してきた米田は、豪快な祖父を目の当たりにし、その帝王学を学んできたのかもしれない。だが「サウナ業界に入るまで」を米田に聞くと、意外な答えが返ってきた。
「ボーッとしているボンボンでしたね。サウナどころか、家の事業自体に興味も関心もありませんでした。大学を卒業するってなった時も、自分の将来に危機感なんて全くなくて。それどころか就職活動もろくにしてないですよ。
音楽が好きでずっとギターを弾いていたんですけど、飲み屋のおじさんに合わせて弾くだけで5000円くれたんです。それで『あれ、俺これで食えるんじゃないかな』って勘違いして(笑)。そこから1年ぐらい、無職でフラフラして生活していました」