日に日に悪化していく父の容体。とにかく困り果てていた米田に追い打ちをかけたのは、父の最期の言葉だった。
「親父の遺言が『行孝な、お前はお坊ちゃんで何も物事がわかっていない。人間というのは追い詰められないと本気出ないからな。お前にはたっぷりの借金残して死ぬからな』って。
あとで慌てて決算書を見たら見たことない数字が並んでいて。本当に逃げようかなと思いましたよ(笑)。でもしばらくすると、あまりの額にお金という認識を超えましたね。しかも世界は当たり前のように回っていく。社員もいてサウナも変わらない。お金に対して達観する感覚はその時に芽生えました」
その後すぐに父は他界。米田には会社と膨大な借金が残された。時は90年代末から2000年代。同時多発テロに始まり、リーマンショック、東日本大震災と、世界中が未曽有の危機に直面していた。
「自然とつながる」フィンランドでの不思議な体験
「その時は他にも悪いことが同時にたくさん重なって。なんとか頑張って一つ一つ対処していく日々でストレスもピークに達したとき、たまたまフィンランドに行ったんです。大自然の中で、スモークサウナに入って湖に浮かんだ時に、“自然とつながる”という不思議な感覚に出会いました」
心も体も追い詰められていた米田にフィンランドのサウナがもたらした体験は、その後の米田の人生を一変させる。
「地球をランドセルみたいに背負った感覚だったんですよね。その時に“はた”と気付きました。『サウナというものに真剣に向き合ってみよう』と。それから10年は、借金返すとかが目的じゃなくて、『サウナで世の中に何かできないか』を考えるようになったんです」
そして、米田の思考の変化にさらに大きく寄与したのが、タナカカツキの『サ道』の存在だ。その出現は、“以前・以後”で語り継がれるほど、サウナ業界にとってエポックメーキングな出来事だった。
「サウナが今の世の中に本当に必要だと明確に言語化できたのは、『サ道』に出会って以降なんですよね。そこから『お金のためじゃなく、サウナで喜んでもらう人たちをどうやって増やすか』ということに集中した結果、会社の経営もうまく回るようになったんですよ。
仲間も増えて、もはや競合を気にするという感覚もなくなっていきました。『自分がいいな』と思うサウナを作ることが大事。だからこそ、いま、独自のサウナを皆さんにお届けできています」