1972年作品(103分)/松竹/2800円(税抜)/レンタルあり

 四月からの外出自粛期間、筆者もほぼずっと家にいる。

 この期間、七月刊行の新刊に向けて、戦後に日本で作られた戦争映画の検証をしてきた。刊行近くにも改めて紹介していきたいと思うが、「こんな凄い作品だったのか!」という発見も結構あった。

 今回はそのうち、特に衝撃を受けた作品を取り上げる。

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 それが『あゝ声なき友』。

 渥美清が自ら企画した作品で、もちろん主演もしている。

『男はつらいよ』の寅さん役で国民的スターになった後の企画、しかも松竹映画なだけに、それなりに人情味のある喜劇色の強い作品だと思い込んで、油断していた。が、全くそうではなかった。

 徹底してシリアスな、そしてとてつもなく苦く、重く、救いのない内容なのである。

 第二次大戦末期、主人公の民次(渥美)は病気のため除隊することになる。生還が絶望的な最前線に送られる戦友たちは、家族への遺書を民次に託した。そして部隊は全滅。

 戦後、民次は貧しさの中を必死に生き抜きながら、戦友の遺族たちを探して遺書を渡すことに執念を燃やす。

 本作が凄まじいのは、そんな民次の行為が決して美談として描かれていないことだ。

 民次は遺書の配達に人生を捧げる。だが、そうまでして遺書を届けても、待ち受けるのは、遺族たちの壮絶な末路。ある戦友の妻は空襲の間に犯され、精神は病んでいた。ある戦友の弟は、疎開先でいじめに遭い、親戚家族を皆殺しにして死刑になっていた。

 遺書の存在が、懸命に生きてきた遺族を不幸に落とすことも。「この遺書は重荷だったわ」「遺書など持ってきたお前こそ、加害者じゃないか」――そうした言葉を、ただ黙って受け止めるしかない民次。

 それでも、民次は遺族を必死に探そうとする。かつての商売仲間(財津一郎)から、諦めて一緒に店をやるようにことあるごとに誘われる。が、民次は頑なに断った。

「どうしても届けなきゃならない。みんな、俺が届けているものと思っているに違いない。あの世でなあ――」

 なぜ続けるのか。それは、彼が亡き戦友たちから託されたから、だ。そのために、復興後の繁栄にも一人、背を向け続ける。その姿は、一人だけ生き残ったことを「罪」と思い込み、贖罪をしているように映った。実際には彼に「罪」は何もない。生き残ったことは、本来なら喜ばしいこと。ただ、そう思えない人間もいる。民次の「戦争」はまだ終わっていないのだ。

 そんな重い十字架を背負った男の悲哀を渥美が見事に演じており、喜劇だけではない演技力に感嘆してしまった。